宋名臣言行録 / 前集巻十・蘇洵
因論權書衡論曰觀其著書之名已非豈有山林逸民立言垂世乃汲汲於用兵如此所見安得不為荆公所薄曰大蘇以當時不去二虜之患則天下不可為又其審敵篇引晁錯説景帝削地之䇿曰今日夷狄之勢是亦七國之勢其意葢欲掃蕩二虜然後致太平爾曰才以用兵為事只見搔擾何時見天下息肩時節以仁宗之世視二虜豈不勝如戰國時然而孟子在戰國時所論全不以兵為先豈以崇虚名而受實敝乎亦必有道矣(□
新字:因論権書衡論曰観其著書之名已非豈有山林逸民立言垂世乃汲汲於用兵如此所見安得不為荆公所薄曰大蘇以当時不去二虜之患則天下不可為又其審敵篇引晁錯説景帝削地之策曰今日夷狄之勢是亦七国之勢其意葢欲掃蕩二虜然後致太平爾曰才以用兵為事只見搔擾何時見天下息肩時節以仁宗之世視二虜豈不勝如戦国時然而孟子在戦国時所論全不以兵為先豈以崇虚名而受実敝乎亦必有道矣(□
書き下し
因りて權書・衡論を論じて曰く、其の書に名づくるを觀るに已に非なり。豈に山林の逸民、言を立てて世に垂るるに、乃ち用兵に汲汲たること此くの如き有らんや。見る所、安んぞ荆公に薄んぜられざるを得んやと。曰く、大蘇は、當時二虜の患いを去らずんば則ち天下爲す可からずと以えり。又た其の審敵篇に、晁錯の景帝に削地の策を説くを引きて曰く、今日の夷狄の勢いは、是れ亦た七國の勢いなりと。其の意は蓋し二虜を掃蕩して然る後に太平を致さんと欲するのみと。曰く、才ら用兵を以て事と爲さば、只だ搔擾を見るのみ。何れの時にか天下息肩の時節を見ん。仁宗の世を以て二虜を視れば、豈に戰國の時に勝るが如くならずや。然れども孟子は戰國の時に在りて、論ずる所全く兵を以て先と爲さず。豈に虚名を崇びて實敝を受くるを以てせんや。亦た必ず道有らんと。
現代語訳
そこで『権書』『衡論』について論じて言った。「その書に付けた名からして、もう良くない。山林に隠れた人が、言葉を立てて後世に残そうというのに、どうしてこれほど用兵に汲々としていられようか。この見識では、王安石に軽んじられないわけがない」。(別の者が)言った。「大蘇(蘇軾)は、当時の二つの異民族の患いを除かなければ天下はどうにもならないと考えていました。またその『審敵篇』では、晁錯が景帝に諸侯の領地を削る策を説いたことを引いて、『今日の夷狄の勢いは、これもまた七国の勢いだ』と言っています。その意図は、おそらく二つの敵を掃討して、そのうえで太平を致そうというだけのことでしょう」。(また)言った。「才知をもっぱら用兵に向ければ、見えるのは騒ぎばかりだ。いつになったら天下が肩の荷を下ろす時節を見られるのか。仁宗の世をもって二つの敵を見れば、戦国の世よりは勝っているではないか。それなのに孟子は戦国の世にいて、論じるところはまったく兵を先としなかった。どうして虚名を尊んで、実際の疲弊を引き受けるようなことをしようか。(治めるには)必ず別の道があるはずだ」〔以下、一字を欠く〕。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻十・蘇洵永叔、一たび權書・衡論を見て、目して荀卿子と爲す。其の書を相に獻ず。是に由りて名天下を動かし、士争いて其の文を誦す。時の文一變を爲す。時の相韓公琦、嘗て與に天下の事を論じ、亦た以爲えらく賈誼も過ぐる能わずと。初め昭陵を作るに禮廢缺す。琦、大禮使と爲り、事其の厚きに從う。調發趨辦して州縣騷然たり。先生、書を以て琦を諫むること且に再三ならんとし、華元の不臣を引きて以て之を責むるに至る。琦爲に色を變ず。然れども大義を顧みて、稍く其の過ぐること甚だしき者を省く。先生の歿するに及び、琦も亦た頗る自ら咎め恨みて、詩を以て之を哭して曰く、賢を知ること早からず、媿ずること余より先なるは莫しと。
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾侍讀と爲り、進讀して治亂盛衰・邪正得失の際に至れば、未だ嘗て反覆開導して上に覺悟する所有らんことを覬わずんばあらず。上恭默して言わずと雖も、公の論説する所を聞けば輒ち首を肯じて之を善しとす。嘗て上に侍して祖宗の寶訓を讀み、因りて時事に及ぶ。公歴ミ言う、今賞罰明らかならず、善惡勸沮する所無し。又た夏人鎮戎を寇して殺掠すること幾ど萬人。帥臣掩蔽して以て聞せず。朝廷も亦た問わず。事毎に此くの如くんば恐らくは衰亂の漸を成さんと。
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾後に汝州に移り、金陵を過ぎて介甫に見ゆ。甚だ款なり。子瞻曰く、軾公に言う有らんと欲すと。介甫色を動かす。子瞻の前日の事を辨ぜんとするかと意えるなり。公曰く、言う所の者は天下の事なりと。介甫色定まりて曰く、姑く之を言えと。公曰く、大兵大獄は漢唐滅亡の兆なり。祖宗は仁厚を以て天下を治む。正に此を革めんと欲す。今西方兵を用うること連年解けず、東南數ミ大獄を起こす。公獨り一言以て之を救う無きかと。
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『宋名臣言行録』前集巻九・尹洙師魯、天下無事の時に當たり、獨り兵を論ずるを喜ぶ。叙燕・息戍二篇を爲りて世に行わる。西兵起こりてより、凡そ五六歳、未だ嘗て其の間に在らずんばあらず。故に西事に於て尤も其の詳らかに習う。土兵を訓えて戍卒に代え、以て邉用を减ぜんと欲す。禦戎長乆の䇿と爲す。皆な未だ施爲するに及ばずして元昊臣たり。西兵嚴を解く。師魯も亦た去りて罪を得たり。
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『宋名臣言行録』前集巻十・蘇洵東坡、制科に中る。王荆公、吕申公に問う、蘇軾の制策を見しやと。全く戰國の文章に類す、若し安石考官爲らば、必ず之を黜けんと。故に荆公後に英宗實錄を修むるに、蘇明允を謂いて戰國縱横の學と爲すと云う。
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『宋名臣言行録』後集巻十一・蘓頌公金華に在り。進讀する每に兵を弭め民を息わしむるに至れば、則ち必ず反覆條奏し、古今を援引して、上をして兵を弭め民を息わしむるの意を忘れざらしむ。以爲えらく、人主の聰明は嚮う所有る可からず。嚮う所有れば則ち偏る。偏れば則ち患を爲すこと大なり。當今守成の際、之に應ずるに無心を以てすれば、則ち天下治まらざる無し、と。