宋名臣言行録 / 前集巻一・曹彬
太祖遣王全斌等平蜀全斌殺降兵三千人時曹彬不從但收其文案不署字及師還太祖傳宣送中書取勘左右曰方克復西蜀回雖殺降兵亦不可便案劾今後陛下如何用人太祖曰不然河東江南皆未歸服若不勘劾恐今後委任者轉亂殺人但且令勘劾洎勘案成宣令後殿見責問曰如何敢亂殺人又曰曹彬但退不干你事曹不退但叩頭伏罪曰臣同商議罪合誅戮太祖遂皆原之後忽一日宣曹并潘美曰命汝收江南又顧曹曰更不得似往時西川亂殺人曹徐奏曰臣若不奏恐陛下未知曩日西川殺降之事臣曽商量固執不下臣見收得當日文案元不著字太祖令取覽之謂曰如此則當時何故堅執服罪曰臣初與全斌等同被委任若全斌等獲罪臣獨清雪不為穏便所以一向服罪太祖曰卿既欲自當罪又安用留此文字曰臣初謂陛下必行誅戮故留此文書令老母進呈乞全老母之命太祖尤器遇之
新字:太祖遣王全斌等平蜀全斌殺降兵三千人時曹彬不従但収其文案不署字及師還太祖伝宣送中書取勘左右曰方克復西蜀回雖殺降兵亦不可便案劾今後陛下如何用人太祖曰不然河東江南皆未帰服若不勘劾恐今後委任者転乱殺人但且令勘劾洎勘案成宣令後殿見責問曰如何敢乱殺人又曰曹彬但退不干你事曹不退但叩頭伏罪曰臣同商議罪合誅戮太祖遂皆原之後忽一日宣曹并潘美曰命汝収江南又顧曹曰更不得似往時西川乱殺人曹徐奏曰臣若不奏恐陛下未知曩日西川殺降之事臣曽商量固執不下臣見収得当日文案元不著字太祖令取覧之謂曰如此則当時何故堅執服罪曰臣初与全斌等同被委任若全斌等獲罪臣独清雪不為穏便所以一向服罪太祖曰卿既欲自当罪又安用留此文字曰臣初謂陛下必行誅戮故留此文書令老母進呈乞全老母之命太祖尤器遇之
書き下し
太祖、王全斌等を遣わして蜀を平らげしむ。全斌、降兵三千人を殺す。時に曹彬從わず、但だ其の文案を收めて字を署せず。師還るに及び、太祖傳宣して中書に送りて勘を取らしむ。左右曰く、方に西蜀を克復して回るなり。降兵を殺すと雖も、亦た便ち案劾す可からず。今後、陛下如何ぞ人を用いんと。太祖曰く、然らず。河東・江南皆な未だ歸服せず。若し勘劾せずんば、恐らくは今後委任する者、轉た亂りに人を殺さんと。但だ且く勘劾せしむ。勘案の成るに洎び、宣して後殿に見えしめて責問して曰く、如何ぞ敢えて亂りに人を殺すと。又た曰く、曹彬は但だ退け、你が事に干らずと。曹退かず。但だ叩頭して罪に伏して曰く、臣同じく商議す。罪は誅戮に合すと。太祖遂に皆な之を原す。後、忽ち一日、曹并びに潘美を宣して曰く、汝に命じて江南を收めしむと。又た曹を顧みて曰く、更に往時の西川の亂りに人を殺すに似る得ずと。曹徐ろに奏して曰く、臣若し奏せずんば、恐らくは陛下未だ知らざらん。曩日西川の殺降の事、臣曽て商量して固く執りて下さず。臣見に收め得たる當日の文案、元と字を著けずと。太祖之を取覧して謂いて曰く、此くの如くんば則ち當時何の故に堅く執りて罪に服せしと。曰く、臣初め全斌等と同じく委任を被る。若し全斌等罪を獲て臣獨り清雪せば、穏便為らず。所以に一向に罪に服せりと。太祖曰く、卿既に自ら罪に當たらんと欲す。又た安んぞ此の文字を留むるを用いんと。曰く、臣初め謂えらく、陛下必ず誅戮を行わんと。故に此の文書を留め、老母をして進呈せしめ、老母の命を全うせんことを乞わんとせりと。太祖尤も之を器遇す。
現代語訳
太祖は王全斌らを遣わして蜀を平定させた。全斌は降伏した兵三千人を殺した。そのとき曹彬は従わず、ただその文書を手元に収めて署名しなかった。軍が帰ると、太祖は宣旨を伝えて中書省に送り取り調べさせた。側近が言った。「ちょうど西蜀を回復して帰ったところです。降兵を殺したとはいえ、すぐに取り調べるわけにはいきません。今後、陛下はどうやって人を用いられますか」。太祖は言った。「そうではない。河東も江南もまだ服していない。もし取り調べなければ、今後任せた者がますますみだりに人を殺すだろう」。そこでともかく取り調べさせた。調書ができあがると、宣旨で後殿に呼び出して責め問うた。「どうしてみだりに人を殺したのか」。また言った。「曹彬は下がってよい。おまえの事ではない」。曹彬は下がらなかった。ただ頭を地につけて罪に服し、「臣も同じく議に加わりました。罪は誅殺に当たります」と言った。太祖はそこで全員を赦した。後日、太祖は曹彬と潘美を呼んで言った。「おまえたちに命じて江南を取らせる」。そして曹彬を顧みて言った。「もう昔の西川のようにみだりに人を殺してはならない」。曹彬はおもむろに奏上した。「臣が申し上げなければ、陛下はご存じないままでしょう。先の西川の降兵を殺した件は、臣がかつて議論して固く反対し、押し通しませんでした。臣がいま手元に収めてある当日の文書には、もともと署名しておりません」。太祖は取り寄せて見て、言った。「そうであるなら、あのときどうして固く罪に服したのか」。曹彬は言った。「臣ははじめ全斌らと同じく任を受けました。もし全斌らが罪を得て臣一人が潔白を明らかにしたら、おさまりがつきません。ですから一貫して罪に服したのです」。太祖は言った。「卿はみずから罪を引き受けようとした。それならどうしてこの文書を残しておいたのか」。曹彬は言った。「臣ははじめ、陛下は必ず誅殺を行われるだろうと思いました。ですからこの文書を残し、老いた母に差し出させて、母の命だけは助けていただこうと思ったのです」。太祖はいよいよ彼を重んじた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第一役儀(やくぎ)を危(あぶ)なきと思うは、すくたれ者なり。外(ほか)の事、私(わたくし)の事にて仕損(しそん)ずるとこそ辱(はじ)にてもあるべし。その事に備(そな)わりたる身なれば、その事にて仕損ずるは定まりたることなり。不調法(ぶちょうほう)にて何と相勤(あいつと)むべきやとの心遣(こころづか)いは、あるべき事なり。
-
論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
-
『韓非子』初見秦第一大王誠に其の説を聴きて、一挙にして天下の従破れず、趙挙がらず、韓亡びず、荆・魏臣とせず、斉・燕親しまず、霸王の名成らず、四隣の諸侯朝せずんば、大王臣を斬りて以て国に徇え、以て王の為に謀りて忠ならざる者の戒めと為せ。
-
『驢鞍橋』卷下彼人思ひ入たる道理計りを云つて聞きうけす、無理に剃髪を乞ふ。師曰く、夫れならば力及はす、其方次第也。我処にては、総して出家させず、何方にても剃りめされんず迄よ。夫れはともあれ、後にいきあたりめさるゝな。今云つて聞かせ申すぞ。御公儀より御穿鑿あらん時、別に云分有るへからす。某世間いやに御座有るに仍て、此の体に罷り成る也。曲事に思召さば、御成敗有るべしと云つて罷出て、腹切らんと思定めめさればすらるべし、是れ一つ。又出家しても食はでもならず、着でもならず、草履鼻紙も使はでならず、何としても一年に金三両ほどは入らんずと思ひめされよ。不観にひよつとすつて後、餓鬼に成りめさるゝな。覚悟有らばすりめされよ。寺に入り大事の施物を食ふも非義也。又親類衆纔かの知行を以て、世間を間に合はせて行かんとするを貪らんと思ふも比興也。夫れよりは此の身を主君に抛て、奉公して食ひたるかよき也。総而片ふしんに思にならぬ物也。我と自分過きするやうにする物也。是れ一つ。右の旨覚らば、御辺次第也。後に行当りめさるゝな。
-
葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
-
史記 衛康叔世家子路曰く、「焉を食みて其の難を辟けず」と。子羔遂に出づ。子路入り、門に及ぶ。公孫敢門を闔ぢて曰く、「入りて為すこと毋かれ」と。子路曰く、「是れ公孫か。利を求めて其の難を逃る。由は然らず。其の禄を利とせば、必ず其の患を救はん」と。使者の出づる有り、子路乃ち入るを得たり。曰く、「太子焉んぞ孔悝を用ゐん。之を殺すと雖も、必ず或いは之を継がん」と。且つ曰く、「太子勇無し。若し台を燔かば、必ず孔叔を舎(ゆる)さん」と。太子之を聞きて懼れ、石乞・盂黶を下して子路に敵せしむ。戈を以て之を撃ち、纓を割く。子路曰く、「君子は死すとも、冠は免がず」と。纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて曰く、「嗟乎、柴や其れ来たらんか。由や其れ死せん」と。孔悝竟に太子蒯聵を立つ。是を荘公と為す。荘公蒯聵は、出公の父なり。外に居り、大夫の迎へ立つる莫きを怨む。元年即位し、尽く大臣を誅せんと欲して曰く、「寡人外に居ること久し。子も亦た嘗て之を聞けるか」と。群臣乱を作さんと欲す。乃ち止む。二年、魯の孔丘卒す。三年、荘公城に上り、戎州を見る。曰く、「戎虜何為れぞ是ある」と。戎州之を病む。十月、戎州趙簡子に告げ、簡子衛を囲む。十一月、荘公出奔す。衛人公子斑師を立てて衛君と為す。斉衛を伐ち、斑師を虜にし、更に公子起を立てて衛君と為す。衛君起の元年、衛の石曼尃其の君起を逐ひ、起斉に奔る。衛の出公輒斉より復た帰りて立つ。初め、出公立ちて十二年にして亡げ、亡げて外に在ること四年にして復た入る。出公の後の元年、従亡の者を賞す。立ちて二十一年にして卒す。出公の季父黔出公の子を攻めて自立す。是を悼公と為す。悼公五年にして卒し、子の敬公弗立つ。敬公十九年にして卒し、子の昭公糾立つ。是の時三晋彊く、衛は小侯の如く、之に属す。昭公の六年、公子亹之を弑して代はり立つ。是を懐公と為す。懐公の十一年、公子穨懐公を弑して代はり立つ。是を慎公と為す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る