宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
介甫初參政神考勵精求治一日紫宸早朝二府奏事頗乆日刻既晏例隔登對官於後殿須上更衣復坐以次贊引時公任御史中丞將對于崇政殿而司馬公為翰林學士侍講邇英閣亦將趍資善堂以俟宣召相遇於路並行而北
新字:介甫初参政神考勵精求治一日紫宸早朝二府奏事頗乆日刻既晏例隔登対官於後殿須上更衣復坐以次賛引時公任御史中丞将対于崇政殿而司馬公為翰林学士侍講邇英閣亦将趍資善堂以俟宣召相遇於路並行而北
書き下し
介甫初め參政となり、神考精を勵まして治を求む。一日、紫宸の早朝、二府の奏事頗る久しく、日刻既に晏し。例として登對の官を後殿に隔て、上の更衣して復た坐するを須ちて、次を以て贊引す。時に公御史中丞に任じ、將に崇政殿に對せんとす。而して司馬公は翰林學士爲り、邇英閣に侍講し、亦た將に資善堂に趨りて宣召を俟たんとす。路に相い遇い、並び行きて北す。
現代語訳
王安石がはじめ参政となり、神宗は精を励まして治めを求めていた。ある日、紫宸殿での早朝、中書と枢密の奏上がずいぶん長引き、時刻はもう遅くなっていた。慣例として、拝謁する官は後殿で待たせ、天子が着替えてふたたび着座するのを待って、順に案内する。当時、呂誨は御史中丞の職にあり、まさに崇政殿で拝謁しようとしていた。そして司馬光は翰林学士であり、邇英閣で侍講し、これも資善堂に急いで召し出しを待とうとしていた。道で行き会い、並んで北へ歩いた。
解説
この長い条の前置きです。書き出しに、その日の朝の遅れが丁寧に記されています。**中書と枢密の奏上がずいぶん長引き、時刻はもう遅くなっていた。**待たされたことで、二人が同じ廊下で行き会いました。**道で行き会い、並んで北へ歩いた。**偶然です。この偶然がなければ、次の会話は起こらず、司馬光はその弾劾を事前に知らないままでした。歴史の一場面が、朝の遅刻から始まっています。
この章句が説くこと
介甫初め参政となり神考精を勵まして治を求む二府の奏事頗る久しく日刻既に晏し時に公御史中丞に任じ将に崇政殿に対せんとす路に相い遇い並び行きて北す出会い偶然
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨溫公密かに問いて曰く、今日の請對、何事を言わんと欲すると。獻可手を舉げて曰く、袖中の彈文は乃ち新參なりと。溫公慊然として曰く、介甫の文學行義を以て、命の下るの日、衆皆人を得たるを喜べり。奈何ぞ之を論ずるやと。
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