宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
吴長文子璟素以堅挺有節槩稱公亦稱之及幕府有闕門下有以璟為言者公曰此人氣雖壯然包蓄不深發必暴且不中節當以此敗置而不言不踰年璟敗皆如其言
新字:吴長文子璟素以堅挺有節槩称公亦称之及幕府有闕門下有以璟為言者公曰此人気雖壮然包蓄不深発必暴且不中節当以此敗置而不言不踰年璟敗皆如其言
書き下し
吳長文の子璟、素より堅挺にして節槩有るを以て稱せらる。公も亦た之を稱す。幕府に闕有るに及び、門下に璟を以て言を爲す者有り。公曰く、此の人氣は壯なりと雖も、然れども包蓄深からず。發すれば必ず暴しく、且つ節に中たらず。當に此を以て敗るべしと。置きて言わず。年を踰えずして璟敗る。皆其の言の如し。
現代語訳
呉長文の子の璟は、日ごろから固く節操があると評判であった。韓琦もまたこれを褒めていた。幕府に欠員が出たとき、門下の者に璟を推す者があった。韓琦は言った。「この人は気は盛んだが、包み蓄えるところが深くない。発すれば必ず荒々しく、しかも折り目に合わない。きっとそれで身を誤るだろう」。そのまま置いて、口には出さなかった。一年もたたないうちに璟は身を誤った。すべて韓琦の言ったとおりであった。
解説
褒めることと任せることが、別々に扱われた条です。韓琦も日ごろ褒めていました。**韓琦もまたこれを褒めていた。**それでも席に就ける段になると答えが変わります。**気は盛んだが、包み蓄えるところが深くない。発すれば必ず荒々しく、しかも折り目に合わない。**節操があるという評判の中身を、量ではなく持ちこたえる深さで見ています。そして推さなかった理由を、周囲に言い触らしていません。**そのまま置いて、口には出さなかった。**評価を下げずに、任用だけを見送りました。
この章句が説くこと
素より堅挺にして節槩有るを以て称せらる此の人気は壮なりと雖も然れども包蓄深からず発すれば必ず暴しく且つ節に中たらず置きて言わず年を踰えずして璟敗る人物評抜擢
関連する章句
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