宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
仙居為縣僻陋民不知教公於正嵗因耆老来賀作勸學一篇使門人管師復讀於庭且諭之曰吾秩滿即去爾有子弟亟遣就學於是耆老相與感泣歎嗟從之翕然每過社稷孔子廟必下而趨邑人自是有所矜式學者興起縣有西圃蕪廢弗葺縱民耕種其中然每有興建必為民利故瓦木之資不責於民而樂輸之下至織席之微亦願出所得以助焉及公之去也老幼攀車遮道㡬不得出境
新字:仙居為県僻陋民不知教公於正歳因耆老来賀作勧学一篇使門人管師復読於庭且諭之曰吾秩満即去爾有子弟亟遣就学於是耆老相与感泣嘆嗟従之翕然毎過社稷孔子廟必下而趨邑人自是有所矜式学者興起県有西圃蕪廃弗葺縦民耕種其中然毎有興建必為民利故瓦木之資不責於民而楽輸之下至織席之微亦願出所得以助焉及公之去也老幼攀車遮道㡬不得出境
書き下し
仙居は縣と爲りて僻陋なり。民教を知らず。公正歲に、耆老の来たり賀するに因りて勸學一篇を作り、門人管師復をして庭に讀ましむ。且つ之に諭して曰く、吾秩滿ちて即ち去らん。爾ミに子弟有らば、亟かに遣わして學に就かしめよ、と。是に於いて耆老相い與に感泣歎嗟し、之に從うこと翕然たり。社稷・孔子廟を過ぐる每に、必ず下りて趨る。邑人是れより矜式する所有り。學者興起す。縣に西圃有り。蕪廢して葺わず。民を縱して其の中に耕種せしむ。然れども興建有る每に、必ず民の利を爲す。故に瓦木の資、民に責めずして樂しみて之を輸す。下は席を織るの微に至るまで、亦た得る所を出だして以て助けんことを願う。公の去るに及ぶや、老幼車に攀じ道を遮り、幾ど境を出づるを得ず。
現代語訳
仙居は県としては辺鄙で貧しかった。民は教えというものを知らなかった。陳襄は正月に、村の長老たちが年賀に来たのを機に「勧学」一篇を作り、門人の管師復に庭で読ませた。そのうえで諭して言った。「私は任期が満ちればすぐに去る。あなたがたに子弟があるなら、すぐに学校へ出しなさい」。そこで長老たちは互いに感じ入って涙を流し嘆じ、こぞってこれに従った。土地の神の廟や孔子廟の前を通るたびに、必ず馬を下りて小走りに過ぎた。県の人はこれ以来、手本とするものを持つようになった。学ぶ者が奮い立った。県には西の畑地があり、荒れ果てて手入れされていなかった。民に開放してそこで耕作させた。ただし何かを建てるときは、必ず民の利益になるようにした。だから瓦や木材の費用も、民に割り当てずとも、喜んで差し出した。下は筵を織るようなささやかな仕事の者まで、自分の得たものを出して助けたいと願い出た。陳襄が去るときには、老いも幼きも車にすがり道をふさぎ、ほとんど県境を出られないほどであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄先に詔有りて郡邑に學を興す。公遂に邑の富人に諭して、餘る所を出だして以て學舍を繕わしむ。學成りて邑の子弟をして焉に造らしむ。公爲に入學して講説して斁まず。士の遠方より来たる者、數百人に至る。部使者安刑部積始めて其の縣に至る。公即ち十事の民に便なる者を以て之に干す。安皆な之を行う。人其の賜を受く。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄出でて常州を知る。郡庠下窄にして以て生師を容るるに足らず。公經始に勤め、成すに日ならず。其の規模氣象、遂に諸郡庠序の冠と爲る。公晨に其の中に入り、坐して諸生に經義を授け、旁ら郡事を决す。是に由りて毗陵の學者、二浙に盛んなり。治平の初め召還せらる。將に行かんとして、官に委ねて公帑を閲せしむ。雜收無名の錢數百萬を得たり。因りて積年官逋有りて未だ償わず、情矜れむ可くして力足らざる者を召し、悉く以て之に輸す。蓋し公宴樂に淡し。故に餘り有りて以て物に周きに足る。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄公建州の浦城の簿を主る。會ミ邑令を闕く。公獨り縣事に當たる。邑の封疆遠く、世族多し。前後の令罕に能く制する莫く、請託に蔽蒙せられて習いて常と爲す。公夜に寐ね夙に興き、務めて其の弊を究む。訟の聽き難くして積むこと久しき者は、本源を窮極して剖决して留むる無し。請託する者有るも、其の士類を惜しみ、遽かに繩するに法を以てするを欲せず。訟を聽く每に必ず數人を前に環列せしむ。私謁する者發する所無し。是に由りて邑人公の干す可からざるを知る。老姦宿贓手を縮め氣を喪う。民畏れ且つ愛し、争いて公の像を圖きて以て神として之に事うること今に至る。
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『宋名臣言行録』後集巻四・蔡襄公政を爲すこと精明にして、閩人に於いては尤も其の風俗を知る。賢を禮し學を勸め、其の甚だしき害を除く。往時、閩の士は多く學を好むも、專ら賦を用いて以て科舉に應ず。公先生周希孟を得て、經術を以て教授せしむ。學ぶ者數百人に至る。公親しく學舍に至り、經を執りて講問し、諸生の率と爲る。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄時に學者方に彫篆の文に溺れて以て相い高しとす。所謂知天盡性の説は、皆な指して以て迂濶と爲して之を講ずる莫し。公三人なる者と獨り斯の道を以て海隅に鳴る。聞く者始め皆な之を笑いて驚く。四人なる者變を爲さず、之を守ること益ミ堅し。躬ら其の家に行い、家に由りて州閭に達す。人卒に信じて之に化す。父兄皆な其の子弟を飭して從わんことを請う。是に由りて閩中の士人之を宗とし、之を四先生と謂う。誕突恣傲にして率う可からざる者有りと雖も、敢えて其の門に禮を失わず。已にして四先生の名四方に傳わり、之に從いて學ぶ者日に益ミ衆し。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄尚書祠部を判す。權貴人の寺觀の名額を奏乞し、且つ僧人道士を度せんとするに遇う。公堅く著令を執りて爲に行わず。因りて奏言す、近年以来、宮闈宦官より以て要近に及ぶまで、一例に陳乞す。蓋し秉政の大臣、陛下の爲に典刑を愛惜せず、首として凟亂を爲す。有る所の詔令、未だ敢えて奉行せず、と。