宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
駙馬都尉石保吉求為使相仁宗以問公公曰賞典之行須有所自保吉因縁戚里無攻戰之勞台席之拜恐騰物論他日再三詢之執議如初遂寢其事及公薨數日乃卒拜焉
新字:駙馬都尉石保吉求為使相仁宗以問公公曰賞典之行須有所自保吉因縁戚里無攻戦之労台席之拝恐騰物論他日再三詢之執議如初遂寝其事及公薨数日乃卒拝焉
書き下し
駙馬都尉石保吉、使相と為らんことを求む。仁宗、以て公に問う。公曰く、賞典の行わるるは、須らく自る所有るべし。保吉は戚里に因縁す。攻戰の勞無し。台席の拜、恐らくは物論を騰らさんと。他日再三之を詢う。議を執ること初めの如し。遂に其の事を寢む。公の薨ずるに及び、數日にして乃ち卒に拜せらる。
現代語訳
駙馬都尉の石保吉が、使相の位を求めた。帝はそれを公に尋ねた。公は言った。「賞と典礼が行われるには、必ず拠りどころがなければなりません。石保吉は外戚の縁によっているだけで、戦の功労がありません。宰相格の位を授ければ、おそらく世の議論を沸き立たせるでしょう」。後日、二度三度と尋ねられた。公は初めと同じ意見を通した。その話はそのまま止んだ。公が亡くなって数日たって、ついに授けられた。
解説
外戚が宰相格の位を求め、帝が三度尋ね、三度とも同じ答えが返った条です。**賞と典礼が行われるには、必ず拠りどころがなければならない。**功労が無いのだから根拠が無い、というだけの理由です。石保吉が悪いとは言っていません。締めが淡々としています。公が亡くなって数日で、その位は授けられました。一人が止めていただけだった、という事実が、注釈なしに置かれています。
この章句が説くこと
賞典の行わるるは須らく自る所有るべし保吉は戚里に因縁す攻戦の労無し公の薨ずるに及び数日にして乃ち卒に拝せらる賞根拠外戚
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