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宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修

公至和初判流内銓小人恐公且大用偽為公奏乞澄汰宦官宦官聞之果怒隂以事中公遂出公知同州而言者多謂公無罪上亦悟留刋修唐書俄入翰林為學士自滁州之貶至是十二年矣上臨御既久遍閱天下士羣臣未有大稱上意上思富韓之賢復召寘二府時慶厯舊人惟二公與公三人皆在朝廷士大夫知上有致治之意翕然相慶

新字:公至和初判流内銓小人恐公且大用偽為公奏乞澄汰宦官宦官聞之果怒陰以事中公遂出公知同州而言者多謂公無罪上亦悟留刋修唐書俄入翰林為学士自滁州之貶至是十二年矣上臨御既久遍閱天下士羣臣未有大称上意上思富韓之賢復召寘二府時慶厯旧人惟二公与公三人皆在朝廷士大夫知上有致治之意翕然相慶

書き下し

公至和の初め、流内銓を判す。小人、公の且に大いに用いられんとするを恐れ、僞りて公の奏を爲りて宦官を澄汰せんことを乞う。宦官之を聞きて果たして怒り、陰かに事を以て公に中つ。遂に公を出して同州を知らしむ。而して言う者の多くは公に罪無しと謂う。上も亦た悟り、留めて唐書を刊修せしむ。俄かに翰林に入りて學士と爲る。滁州の貶より是に至るまで十二年なり。上臨御既に久しく、遍く天下の士を閲するも、羣臣に未だ大いに上意に稱う者有らず。上、富・韓の賢を思い、復た召して二府に寘く。時に慶暦の舊人は惟だ二公と公と三人のみ、皆朝廷に在り。士大夫、上に致治の意有るを知り、翕然として相い慶す。

現代語訳

欧陽脩は至和のはじめ、流内銓を担当した。小人は欧陽脩がまさに大いに用いられようとするのを恐れ、欧陽脩の名で偽の上奏を作り、宦官を粛清するよう願う内容にした。宦官はこれを聞いてはたして怒り、ひそかに別の事に事寄せて欧陽脩を陥れた。ついに欧陽脩を外に出して同州の知事とした。しかし論ずる者の多くは欧陽脩に罪はないと言った。天子もまた悟り、都に留めて『唐書』の刊修に当たらせた。ほどなく翰林に入って学士となった。滁州への左遷から、ここに至るまで十二年であった。天子は位に就いて久しく、天下の士をあまねく見渡したが、臣下に大きく意にかなう者がいなかった。天子は富弼と韓琦の賢さを思い、あらためて召して二府に置いた。当時、慶暦の旧い顔ぶれは、この二人と欧陽脩の三人だけが、みな朝廷にいた。士大夫は天子に世を治める意思があることを知り、こぞって互いに祝い合った。

解説

偽造の作り方が、富弼を襲ったものと同じ形をしています。あちらは二字の書き換えでした。こちらは丸ごと一通です。**欧陽脩の名で偽の上奏を作り、宦官を粛清するよう願う内容にした。**しかも本人ではなく、書かれた側を怒らせるのが目的でした。**宦官はこれを聞いてはたして怒り、ひそかに別の事に事寄せて欧陽脩を陥れた。**手を下すのは第三者になります。そして戻るまでの年数が書かれています。**滁州への左遷から、ここに至るまで十二年であった。**

この章句が説くこと

小人公の且に大いに用いられんとするを恐れ偽りて公の奏を為りて宦官を澄汰せんことを乞う宦官之を聞きて果たして怒り陰かに事を以て公に中つ滁州の貶より是に至るまで十二年なり上富韓の賢を思い復た召して二府に寘く偽造讒言

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