宋名臣言行録 / 後集巻十・韓絳
三司使發市易官罪而同列佑之欲弗責方創賈人免行錢孫尚書永議有異而同列欲論永罔上故不實上書人鄭俠激切下獄而執政馮公京嘗賙俠同列欲以黨俠為重坐公辨帝前不得直數求罷
新字:三司使発市易官罪而同列佑之欲弗責方創賈人免行銭孫尚書永議有異而同列欲論永罔上故不実上書人鄭侠激切下獄而執政馮公京嘗賙侠同列欲以党侠為重坐公弁帝前不得直数求罷
書き下し
三司使市易官の罪を發く。而して同列之を佑けて責めざらんと欲す。方に賈人の免行錢を創る。孫尚書永議に異なる有り。而して同列永を論じて上を罔きて故らに實あらずと欲す。上書人鄭俠激切にして獄に下る。而して執政馮公京嘗て俠に賙う。同列俠に黨するを以て重坐と爲さんと欲す。公帝前に辨じて直きを得ず、數ミ罷めんことを求む。
現代語訳
三司使が市易官の罪を暴いた。ところが同僚たちはこれをかばって責めまいとした。ちょうど商人に対する免行銭を新設したところであった。尚書の孫永は議に異を唱えた。ところが同僚たちは孫永を論じて、天子を欺いてわざと事実に反したことを言った、としようとした。上書した鄭俠は言葉が激しく、獄に下された。ところが執政の馮京はかつて鄭俠に恵み与えたことがあった。同僚たちは鄭俠に与したとして重い連座にしようとした。公は天子の前で弁じたが通らず、しばしば辞職を願い出た。
解説
三つの件が、同じ形で並んでいます。罪を暴かれた者はかばわれ、異を唱えた者は嘘つきにされ、恵んだことのある者は連座にされる。同僚たちはこれをかばって責めまいとした。同僚たちは孫永を論じて、天子を欺いてわざと事実に反したことを言った、としようとした。同僚たちは鄭俠に与したとして重い連座にしようとした。主語が全部同じです。かばう相手と潰す相手が決まっていて、案件の中身は関係ありません。
この章句が説くこと
三司使市易官の罪を発く而して同列之を佑けて責めざらんと欲す孫尚書永議に異なる有り而して同列永を論じて上を罔きて故らに実あらずと欲す上書人鄭俠激切にして獄に下る上書人鄭侠激切にして獄に下る公帝前に弁じて直きを得ず数ミ罷めんことを求む庇護
関連する章句
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