宋名臣言行録 / 後集巻十一・蘓頌
公請以獲盜多寡立縣令殿最法以為巡檢縣尉但能捕盜而不能使民不為盜能使民不為盜者縣令也且州縣物務嵗課稍虧官任有罰今良民罹奪剽之害而親民官獨不任責可乎
新字:公請以獲盗多寡立県令殿最法以為巡検県尉但能捕盗而不能使民不為盗能使民不為盗者県令也且州県物務歳課稍虧官任有罰今良民罹奪剽之害而親民官独不任責可乎
書き下し
公請う、盜を獲るの多寡を以て縣令の殿最の法を立てんことを。以爲えらく、巡檢・縣尉は但だ能く盜を捕うるのみにして、民をして盜を爲さざらしむる能わず。能く民をして盜を爲さざらしむる者は縣令なり。且つ州縣の物務は、歲課稍ミ虧くれば官任に罰有り。今良民奪剽の害に罹りて、親民の官獨り責を任ぜざるは可ならんや、と。
現代語訳
蘇頌は、盗賊を捕らえた数の多い少ないによって県令の勤務評定の法を立てることを願い出た。その考えはこうである。巡検・県尉はただ盗賊を捕らえられるだけで、民に盗みをさせないようにすることはできない。民に盗みをさせないようにできる者は県令である。そのうえ州県の財務については、年ごとの上納が少しでも欠ければ担当の官に罰がある。いま善良な民が略奪の害に遭っているのに、民に直接あたる官だけが責めを負わないというのは、それでよいのか。
解説
治安の責任を、捕らえる側から治める側へ移す提案です。まず役割を分けました。巡検・県尉はただ盗賊を捕らえられるだけで、民に盗みをさせないようにすることはできない。捕まえるのと、出さないのは別の仕事だ、と。そのうえで責任の非対称を突きます。年ごとの上納が少しでも欠ければ担当の官に罰がある。金が足りなければ罰があるのに、民が襲われても誰も咎められない。民に直接あたる官だけが責めを負わないというのは、それでよいのか。
この章句が説くこと
盗を獲るの多寡を以て県令の殿最の法を立てん巡検・県尉は但だ能く盗を捕うるのみにして民をして盗を為さざらしむる能わず州県の物務は歳課稍ミ虧くれば官任に罰有り良民奪剽の害に罹りて親民の官独り責を任ぜざるは可ならんや評価責任
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人生を、一行の式にしてみた。
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