宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
錢景諶者忠懿王孫舊與公善論新法不合遂相絶其家集有答兖守趙度支書自序甚詳云荆公任政用事而一代成法無一二存者百姓愁苦而郡縣吏惴惴憂懼虞以罪去且不但變其法制而已乃以穿鑿不經入於虚無牽合臆説作為字解者謂之時學而春秋一王之法獨廢而不用又以荒唐誕怪非昔是今無所統記者謂之時文傾險趍利殘民無恥者謂之時官驅天下之人務時學以時文邀時官
新字:銭景諶者忠懿王孫旧与公善論新法不合遂相絶其家集有答兖守趙度支書自序甚詳云荆公任政用事而一代成法無一二存者百姓愁苦而郡県吏惴惴憂懼虞以罪去且不但変其法制而已乃以穿鑿不経入於虚無牽合臆説作為字解者謂之時学而春秋一王之法独廃而不用又以荒唐誕怪非昔是今無所統記者謂之時文傾険趍利残民無恥者謂之時官駆天下之人務時学以時文邀時官
書き下し
錢景諶なる者は忠懿王の孫なり。舊と公と善し。新法を論じて合わず、遂に相い絶つ。其の家集に兗守趙度支に答うる書有り。自序すること甚だ詳らかなり。云う、荊公政に任じ事を用いて、一代の成法に一二も存する者無し。百姓愁苦し、郡縣の吏惴惴として憂懼し、罪を以て去るを虞る。且つ但だ其の法制を變ずるのみに非ず。乃ち穿鑿不經、虚無に入り、牽合臆説して字解を作爲する者、之を時學と謂う。而して春秋一王の法は獨り廢して用いず。又た荒唐誕怪、昔を非とし今を是とし、統記する所無き者、之を時文と謂う。傾險趨利、民を殘なって恥無き者、之を時官と謂う。天下の人を驅りて時學に務め、時文を以て時官を邀えしむ。
現代語訳
銭景諶という者は、忠懿王の孫である。もとは王安石と親しかったが、新法を論じて合わず、ついに絶交した。その家の文集に「兗州の守である趙度支に答える書」があり、自ら序するところがきわめて詳しい。こう言う。「荊公が政に当たって事を執り、一代の出来上がった法で一つ二つも残っているものがない。百姓は愁え苦しみ、郡県の役人はびくびくと憂え恐れ、罪を得て去ることを心配している。しかも、ただその法制を変えただけではない。こじつけて経典に外れ、虚しさに入り込み、無理に結びつけた思いつきで字義の解釈をこしらえたものを、これを『時学』という。そして春秋の、一王の法だけは廃して用いない。また荒唐無稽で、昔を非とし今を是とし、拠りどころのないものを、これを『時文』という。傾き危うく利に走り、民を損なって恥じない者を、これを『時官』という。天下の人を駆り立てて時学に努めさせ、時文によって時官を迎えさせている」。
解説
この章句が説くこと
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