宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
公謫惠州獨以少子過自隨瘴癘所侵蠻蜒所侮胷中泊然無所芥蔕人無賢愚皆得其驩心疾苦者畀之藥殞斃者納之竁又率衆為大橋以濟病涉者惠人愛敬之
新字:公謫恵州独以少子過自随瘴癘所侵蠻蜒所侮胷中泊然無所芥蔕人無賢愚皆得其驩心疾苦者畀之薬殞斃者納之竁又率衆為大橋以済病渉者恵人愛敬之
書き下し
公惠州に謫せられ、獨り少子過を以て自ら隨わしむ。瘴癘の侵す所、蠻蜒の侮る所たり。胸中泊然として芥蔕する所無し。人賢愚と無く皆其の驩心を得たり。疾苦する者には之に藥を畀え、殞斃する者は之を竁に納る。又た衆を率いて大橋を爲し、以て渉るに病む者を濟う。惠人之を愛敬す。
現代語訳
公は恵州に流され、末子の過だけを連れて行った。瘴気に侵され、土地の者に侮られた。胸中は淡々として、わだかまるところがなかった。人は賢かろうと愚かだろうと、みなその心を喜ばせた。病み苦しむ者には薬を与え、亡くなった者は墓穴に納めた。また人々を率いて大きな橋を造り、川を渡るのに難儀する者を救った。恵州の人はこれを愛し敬った。
解説
流された先での過ごし方が、三つだけ書かれています。薬をやる、葬る、橋をかける。**病み苦しむ者には薬を与え、亡くなった者は墓穴に納めた。****人々を率いて大きな橋を造り。**役職はありません。命令する権限もない。それでも、目の前で足りていないものを埋めています。心持ちも一行です。**胸中は淡々として、わだかまるところがなかった。**恨みを抱えたままでは、土地の人と交わることはできませんでした。
この章句が説くこと
公恵州に謫せられ独り少子過を以て自ら随わしむ胸中泊然として芥蔕する所無し疾苦する者には之に薬を畀え殞斃する者は之を竁に納る又た衆を率いて大橋を為し以て渉るに病む者を済う流謫恬淡
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