宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
温公誌其墓未成河南監牧使劉航仲通自請書石既見其文遲迴莫敢書其子安世曰成吾父之美可乎代書之仲通又隂囑獻可諸子勿摹本恐非三家之福時小人蔡天申厚賂鐫工得本以獻安石安石得之掛壁間謂其門下士曰君實之文西漢之文也
新字:温公誌其墓未成河南監牧使劉航仲通自請書石既見其文遅迴莫敢書其子安世曰成吾父之美可乎代書之仲通又陰囑献可諸子勿摹本恐非三家之福時小人蔡天申厚賂鐫工得本以献安石安石得之掛壁間謂其門下士曰君実之文西漢之文也
書き下し
溫公其の墓を誌すも未だ成らず。河南監牧使劉航仲通、自ら石に書せんことを請う。既に其の文を見て、遲廻して敢えて書せず。其の子安世曰く、吾が父の美を成すは可ならんかと。代わりて之を書す。仲通又た陰かに獻可の諸子に囑して、本を摹する勿かれと。恐らくは三家の福に非ずと。時に小人蔡天申、厚く鐫工に賂して本を得、以て安石に獻ず。安石之を得て壁間に掛け、其の門下の士に謂いて曰く、君實の文は西漢の文なりと。
現代語訳
司馬光がその墓誌を書いたが、まだ完成していなかった。河南監牧使の劉航が、自ら石に書くことを願い出た。その文を見ると、ためらってあえて書こうとしなかった。その子の劉安世が言った。「わが父の美点を成し遂げさせるのが、よいのではありませんか」。代わってこれを書いた。劉航はまたひそかに呂誨の子たちに頼んで、拓本を取らないよう言った。おそらく三家の福ではない、と。当時、小人の蔡天申が、彫り師に厚く賄賂を贈って拓本を手に入れ、王安石に献上した。王安石はこれを手に入れて壁に掛け、その門下の士に言った。「君実の文は、西漢の文である」。
解説
墓誌一枚をめぐって、四者の思惑が交錯します。書き手は自分を弾劾から止めようとした人、書かれたのは自分を弾劾した相手。石に書く役を引き受けた人は、文を読んで手が止まりました。**その文を見ると、ためらってあえて書こうとしなかった。**危ない内容だと分かったからです。子が代わりに書き、父は拓本を止めさせました。それでも賄賂で一枚が流れ、標的だった当人の壁に掛かります。**王安石はこれを手に入れて壁に掛け、門下の士に言った。君実の文は、西漢の文である。**
この章句が説くこと
既に其の文を見て遅廻して敢えて書せず吾が父の美を成すは可ならんか代わりて之を書す仲通又た陰かに献可の諸子に囑して本を摹する勿かれと安石之を得て壁間に掛け君実の文は西漢の文なりと文章敵
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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