宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公在杭州子弟以公有退志乘間請治第洛陽樹園圃以為逸老之地公曰人茍有道義之樂形骸可外況居室哉吾今年踰六十生且無幾乃謀樹第治圃顧何時而居乎吾之所患在位髙而艱退不患退而無居也且西都士大夫園林相望為主人者莫得常遊而誰獨障吾遊者豈必有諸已而後為樂耶
新字:公在杭州子弟以公有退志乗間請治第洛陽樹園圃以為逸老之地公曰人茍有道義之楽形骸可外況居室哉吾今年踰六十生且無幾乃謀樹第治圃顧何時而居乎吾之所患在位高而艱退不患退而無居也且西都士大夫園林相望為主人者莫得常遊而誰独障吾遊者豈必有諸已而後為楽耶
書き下し
公、杭州に在り。子弟、公に退く志有るを以て、間に乘じて第を洛陽に治め、園圃を樹えて以て逸老の地と為さんことを請う。公曰く、人、茍しくも道義の樂しみ有らば、形骸すら外にす可し。況んや居室をや。吾れ今、年六十を踰ゆ。生くること且つ幾ばくも無し。乃ち第を樹て圃を治むるを謀るも、顧みて何れの時にか居らんや。吾が患う所は位髙くして退くに艱むに在り。退きて居無きを患えず。且つ西都の士大夫、園林相い望む。主人為る者、常に遊ぶを得る莫し。而して誰か獨り吾が遊ぶを障げんや。豈に必ずしも諸を已に有して而る後に樂しみと為さんやと。
現代語訳
公が杭州にいた。子弟たちは、公に隠退の志があるのを見て、折を見て洛陽に屋敷を構え、庭園を作って隠居の地とするよう願い出た。公は言った。「人にもし道義の楽しみがあれば、体さえ外に置ける。まして住まいなど。私はいま年が六十を越えた。生きられるのもあといくらもない。屋敷を建て庭を作ることを謀ったところで、いつそこに住めるというのか。私が心配しているのは、位が高くて退くのが難しいことだ。退いても住むところが無いことを心配してはいない。そのうえ西都の士大夫の庭園は、互いに見渡せるほど並んでいる。その主人たる者は、いつも遊べているわけではない。それなのに誰が私が遊ぶのを妨げるだろうか。どうして必ず自分のものにしてから、はじめて楽しみとするのか」。
解説
隠居の家を建てましょう、という子弟に答えた条です。断りの理由が三段になっています。**私はいま六十を越えた。建てたところで、いつそこに住めるというのか。**そして本題。**私が心配しているのは、位が高くて退くのが難しいことだ。退いても住むところが無いことは心配していない。**最後がいちばん良い。**庭園の主人だっていつも遊べるわけではない。どうして自分のものにしてから、はじめて楽しみとするのか。**
この章句が説くこと
吾が患う所は位高くして退くに艱むに在り退きて居無きを患えず主人為る者常に遊ぶを得る莫し而して誰か独り吾が遊ぶを障げんや豈に必ずしも諸を已に有して而る後に楽しみと為さんや所有隠退楽しみ
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