宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
魏公潞公俱嘗鎮北門魏公時朝城令决一守把兵士方二下輙悖罵不已令以解府魏公使前問云汝罵長官信否對曰當時乘忿實有之公即於解狀判處斬從容平和畧不變色潞公時復有解一卒猶前者潞公震怒問之兵對如實公亦判處斬以此見二公之量不同如魏公則彼自犯法吾何怒之有不惟學術之妙亦天資之髙爾
新字:魏公潞公倶嘗鎮北門魏公時朝城令決一守把兵士方二下輙悖罵不已令以解府魏公使前問云汝罵長官信否対曰当時乗忿実有之公即於解状判処斬従容平和略不変色潞公時復有解一卒猶前者潞公震怒問之兵対如実公亦判処斬以此見二公之量不同如魏公則彼自犯法吾何怒之有不惟学術之妙亦天資之高爾
書き下し
魏公・潞公倶に嘗て北門に鎮す。魏公の時、朝城の令、一の守把の兵士を決す。方に二下にして輒ち悖罵して已まず。令、以て府に解す。魏公前ましめて問いて云う、汝長官を罵るとは信なるかと。對えて曰く、當時忿に乘じて實に之有りと。公即ち解狀に於いて處斬と判ず。從容平和にして、略ミ色を變ぜず。潞公の時、復た一卒を解する者有り、猶お前者のごとし。潞公震怒して之を問う。兵の對うること實の如し。公も亦た處斬と判ず。此を以て二公の量の同じからざるを見る。魏公の如きは則ち、彼れ自ら法を犯す、吾何の怒りか之れ有らんと。惟だ學術の妙のみならず、亦た天資の髙きのみ。
現代語訳
韓琦と文彦博は、ともに北門(大名)に鎮したことがある。韓琦のとき、朝城の令が守衛の兵士一人を処罰した。まだ二回打っただけで、その兵はたちまち悪態をついてやまなかった。令はこれを府に送致した。韓琦は前に出させて問うた。「お前は長官を罵ったというが、本当か」。答えて言った。「あのときは怒りにまかせて、実際にそういたしました」。韓琦はすぐ送致状に「斬に処す」と判じた。落ち着いて穏やかで、まるで顔色を変えなかった。文彦博のとき、また同じように兵一人を送致してきた者があり、前とそっくりであった。文彦博は激しく怒って問いただした。兵はありのままに答えた。文彦博もまた斬に処すと判じた。これによって二人の器量が同じでないことが分かる。韓琦のような人は、こうである。「相手が自分から法を犯したのだ。私に何の怒りがあろうか」。ただ学問の妙だけではなく、生まれつきの高さでもある。
解説
この章句が説くこと
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