宋名臣言行録 / 前集巻十・蘇洵
永叔一見權書衡論目為荀卿子獻其書於相由是名動天下士争誦其文時文為一變時相韓公琦嘗與論天下事亦以為賈誼不能過也初作昭陵禮廢缺琦為大禮使事從其厚調發趨辦州縣騷然先生以書諫琦且再三至引華元不臣以責之琦為變色然顧大義稍省其過甚者及先生歿琦亦頗自咎恨以詩哭之曰知賢不早媿莫先於余者矣
新字:永叔一見権書衡論目為荀卿子献其書於相由是名動天下士争誦其文時文為一変時相韓公琦嘗与論天下事亦以為賈誼不能過也初作昭陵礼廃欠琦為大礼使事従其厚調発趨辦州県騷然先生以書諫琦且再三至引華元不臣以責之琦為変色然顧大義稍省其過甚者及先生歿琦亦頗自咎恨以詩哭之曰知賢不早愧莫先於余者矣
書き下し
永叔、一たび權書・衡論を見て、目して荀卿子と爲す。其の書を相に獻ず。是に由りて名天下を動かし、士争いて其の文を誦す。時の文一變を爲す。時の相韓公琦、嘗て與に天下の事を論じ、亦た以爲えらく賈誼も過ぐる能わずと。初め昭陵を作るに禮廢缺す。琦、大禮使と爲り、事其の厚きに從う。調發趨辦して州縣騷然たり。先生、書を以て琦を諫むること且に再三ならんとし、華元の不臣を引きて以て之を責むるに至る。琦爲に色を變ず。然れども大義を顧みて、稍く其の過ぐること甚だしき者を省く。先生の歿するに及び、琦も亦た頗る自ら咎め恨みて、詩を以て之を哭して曰く、賢を知ること早からず、媿ずること余より先なるは莫しと。
現代語訳
欧陽脩がひとたび『権書』『衡論』を見て、荀子だと評した。その書物を宰相に献じた。それによって名は天下を動かし、士は争ってその文章を誦した。当時の文章はここで一変した。時の宰相の韓琦は、かつて蘇洵と天下のことを論じ、賈誼でもこれを越えられまいと考えた。仁宗の陵(昭陵)を造るとき、礼が廃れ欠けていた。韓琦は大礼使となり、ことを手厚いほうに従わせた。人手と物資を集めて急がせたので、州や県は騒然となった。蘇洵は手紙で韓琦を諫めること三度に及ぼうとし、華元が臣たる道を失った故事を引いて責めるまでになった。韓琦は顔色を変えた。しかし大義のほうを顧みて、行き過ぎのひどいところは少し省いた。蘇洵が没したとき、韓琦もひどく自分を咎め恨んで、詩を作って哭した。「賢を知ることが早くなかった。恥じ入ることでは、私より先の者はいない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・達鬱③管仲、桓公を觴し、日暮れたり。桓公之を樂しみて燭を徴む。管仲曰く、「臣、其の晝を卜するも、未だ其の夜を卜せず。君以て出づ可し。」公說ばず、曰く、「仲父年老いたり。寡人、仲父と樂しみを為すこと將た之を幾たびかせん。請う之を夜にせん。」管仲曰く、「君過てり。夫れ味に厚き者は、徳に薄く、樂しみに沈む者は、憂に反る。壯にして怠れば則ち時を失い、老いて解れば則ち名無し。臣乃ち今將に君が為に之を勉めんとす。若何ぞ其れ酒に沈むや。」管仲は能く行いを立つと謂う可し。凡そ行の墮るるや樂しみに於いてす。今樂しみて益々飭す。行の壞るるや貴に於いてす。今主留まらんと欲するも許さず。志を伸べ理を行い、貴樂に變を為さず、以て其の主に事う。此れ桓公の霸たりし所以なり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。