宋名臣言行録 / 後集巻十一・蘓頌
子容以謂賊不干巳者告捕而變主匿名本未足深過而先帝猶恐長吿訐之風此所謂忠厚之至然熙寜元豐之間每立一法如手實禁鹽牛皮之類皆立重賞以勸吿訐者此當時小人所為非先帝本意時范祖禹在坐曰當書之實錄
新字:子容以謂賊不干巳者告捕而変主匿名本未足深過而先帝猶恐長吿訐之風此所謂忠厚之至然熙寜元豊之間毎立一法如手実禁塩牛皮之類皆立重賞以勧吿訐者此当時小人所為非先帝本意時范祖禹在坐曰当書之実録
書き下し
子容以謂えらく、賊の己に干らざる者を吿げ捕えしめ、而も主を變じて匿名にするは、本と未だ深く過つに足らず。而るに先帝猶お吿訐の風を長ぜんことを恐る。此れ所謂忠厚の至りなり。然れども熙寧・元豐の間、一法を立つる每に、手實・鹽と牛皮とを禁ずるの類の如きは、皆重賞を立てて以て吿訐する者を勸む。此れ當時の小人の爲す所にして、先帝の本意に非ず、と。時に范祖禹坐に在りて曰く、當に之を實錄に書すべし、と。
現代語訳
蘇頌はこう考えた。自分に関わりのない賊を訴え出て捕らえさせ、しかも訴え主を伏せて匿名にしたというのは、もともとそれほど深い過ちではない。それなのに先帝はなお、密告の風潮を助長することを恐れられた。これこそいわゆる忠厚の極みである。しかし熙寧・元豊の間は、法を一つ立てるたびに、手実法や塩・牛皮の禁のたぐいのように、いずれも重い賞を設けて密告する者を奨励した。これは当時の小人のやったことであって、先帝の本意ではない、と。そのとき范祖禹が同席していて言った。「これは実録に書き記すべきです」。
解説
前段の天子の一言を、蘇頌が同じ時代の政治と突き合わせています。ためらったほうを、まず高く評価しました。**それなのに先帝はなお、密告の風潮を助長することを恐れられた。これこそいわゆる忠厚の極みである。**そのうえで新法を並べます。**法を一つ立てるたびに、いずれも重い賞を設けて密告する者を奨励した。**言っていることと、やっていることが逆でした。そこで責任の置き場を分けます。**これは当時の小人のやったことであって、先帝の本意ではない。**同席した范祖禹が、実録に残せと言い添えました。
この章句が説くこと
賊の己に干らざる者を吿げ捕えしめ而も主を変じて匿名にするは本と未だ深く過つに足らず先帝猶お吿訐の風を長ぜんことを恐る此れ所謂忠厚の至りなり一法を立つる毎に皆重賞を立てて以て吿訐する者を勧む此れ当時の小人の為す所にして先帝の本意に非ず密告報奨
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十一・蘓頌元豐の初め、白馬縣の民に盜に遭う者有り。賊を畏れて敢えて吿げず、匿名の書を縣に投ず。弓手甲之を得たるも字を識らず、以て門子乙に示す。乙爲に之を讀む。甲其の言を以て賊を捕獲す。而して乙其の功を爭う。吏以爲えらく、法は匿名の書を禁ずるも、賊は此に因りて發せらる、敢えて之を死に處せず、而して匿名を投ずる者は當に流すべし、情輕くして法重しと爲す、皆當に奏すべし、と。蘇子容開封尹爲り。方に滑州の白馬を廢して邑と爲す。殿に上りて論ず、賊は死を减ず可く、匿名を投ずる者は罪を免る可し、と。上曰く、此の情極めて輕しと雖も、而れども吿訐の風は長ず可からず、と。乃ち杖して之を免ず。
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