宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
又上疏皇太后曰千金之家有十三嵗之子猶不肯使近女色而况乎萬乘之主乎陛下愛子孫而不留意於此非愛子孫之道也譬如美木方長正當封植培壅以待其蔽日凌雲若戕伐其根豈不害哉
新字:又上疏皇太后曰千金之家有十三歳之子猶不肯使近女色而況乎万乗之主乎陛下愛子孫而不留意於此非愛子孫之道也譬如美木方長正当封植培壅以待其蔽日凌雲若戕伐其根豈不害哉
書き下し
又た皇太后に疏を上りて曰く、千金の家、十三歲の子有るすら、猶お女色に近づかしむるを肯んぜず。而るに况んや萬乘の主をや。陛下子孫を愛して此に意を留めざるは、子孫を愛するの道に非ざるなり。譬えば美木の方に長ずるが如し。正に當に封植培壅して以て其の日を蔽い雲を凌ぐを待つべし。若し其の根を戕伐せば、豈に害あらざらんや。
現代語訳
さらに皇太后に上疏して言った。「千金の身代の家ですら、十三歳の子があれば、なお女色に近づけようとはいたしません。まして万乗の君主においてはなおさらです。陛下(太后)が子孫をいとおしみながら、ここにお心を留められないのは、子孫をいとおしむ道ではありません。たとえば、よい木がまさに育っているようなものです。ちょうど土を盛り根を培って、日を覆い雲をしのぐほどになるのを待つべきときです。もしその根を切り損なってしまえば、害がないはずがありましょうか」。
解説
天子に言った後、養育の責任者にも同じ件を届けています。相手を変えると、言い方も変わりました。まず庶民の家と比べます。**千金の身代の家ですら、十三歳の子があれば、なお女色に近づけようとはいたしません。**次に、愛情を否定せずに向きを変えました。**子孫をいとおしみながら、ここにお心を留められないのは、子孫をいとおしむ道ではありません。**そして木の喩えで締めます。**もしその根を切り損なってしまえば、害がないはずがありましょうか。**
この章句が説くこと
千金の家十三歳の子有るすら猶お女色に近づかしむるを肯んぜず陛下子孫を愛して此に意を留めざるは子孫を愛するの道に非ざるなり正に当に封植培壅して以て其の日を蔽い雲を凌ぐを待つべし若し其の根を戕伐せば豈に害あらざらんや養育愛情
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