宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
初石介作詩譽公等而詆竦竦怨之會介以書遺公責以伊周之事竦遂教女奴習介書改伊周為伊霍又偽作介為弼撰廢立詔草飛語上聞雖不信而公懼不自安因保州賊平求岀宣撫河北歸及國門不得見除知鄆州自鄆移青
新字:初石介作詩誉公等而詆竦竦怨之会介以書遺公責以伊周之事竦遂教女奴習介書改伊周為伊霍又偽作介為弼撰廃立詔草飛語上聞雖不信而公懼不自安因保州賊平求岀宣撫河北帰及国門不得見除知鄆州自鄆移青
書き下し
初め石介詩を作りて公等を譽めて竦を詆る。竦之を怨む。會ミ介書を以て公に遺り、責むるに伊周の事を以てす。竦遂に女奴に教えて介の書を習わしめ、伊周を改めて伊霍と爲す。又た偽りて介の弼の爲に廢立の詔草を撰すと作る。飛語上に聞こゆ。信ぜられずと雖も、而れども公懼れて自ら安んぜず。保州の賊平らぐに因り、出でて河北を宣撫せんことを求む。歸りて國門に及ぶも見ゆるを得ず。鄆州を知るを除せらる。鄆より青に移る。
現代語訳
はじめ石介が詩を作って富弼らを讃え、夏竦をそしった。夏竦はこれを怨んだ。ちょうど石介が手紙を富弼に送り、伊尹と周公の事をもって励ましていた。夏竦はそこで下女に石介の筆跡を習わせ、「伊周」を「伊霍」と書き改めさせた。さらに、石介が富弼のために廃立の詔の草案を書いたという偽物を作った。流言が天子の耳に達した。信じられはしなかったが、富弼は懼れて落ち着いていられなかった。保州の賊が平定されたのを機に、外に出て河北を宣撫することを願い出た。帰って都の門まで来たが、拝謁を許されなかった。鄆州の知事に任じられた。鄆州から青州へ移った。
解説
偽造の手口が、二字だけです。伊尹と周公は、君を輔けた賢臣の代名詞です。伊尹と霍光になると、君を廃立した者の代名詞になります。下女に石介の筆跡を習わせ、「伊周」を「伊霍」と書き改めさせた。元の手紙は本物で、書き換えたのは二字。だから否定しきれません。しかも証拠が足されました。石介が富弼のために廃立の詔の草案を書いたという偽物を作った。天子は信じませんでした。それでも十分でした。信じられはしなかったが、富弼は懼れて落ち着いていられなかった。
この章句が説くこと
初め石介詩を作りて公等を誉めて竦を詆る竦之を怨む竦遂に女奴に教えて介の書を習わしめ伊周を改めて伊霍と為す又た偽りて介の弼の為に廃立の詔草を撰すと作る信ぜられずと雖も而れども公懼れて自ら安んぜず讒言偽造
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