宋名臣言行録 / 前集巻七・种世衡
寳元中党頃犯邉有明珠族首領驍悍最為邉患世衡為將欲以計擒之聞其好擊鼔乃造一馬持戰鼓以銀裹之極華焕宻使諜者陽賣之入明珠族後乃擇驍卒數百人戒之曰凡見負銀鼓自隨者併力擒之一日羌酋負鼔而出遂為所擒
新字:宝元中党頃犯邉有明珠族首領驍悍最為邉患世衡為将欲以計擒之聞其好撃鼓乃造一馬持戦鼓以銀裹之極華焕密使諜者陽売之入明珠族後乃択驍卒数百人戒之曰凡見負銀鼓自随者併力擒之一日羌酋負鼓而出遂為所擒
書き下し
寳元中、党頃、邉を犯す。明珠族の首領有り。驍悍にして、最も邉患と為る。世衡、將と為り、計を以て之を擒えんと欲す。其の鼔を擊つを好むを聞く。乃ち一馬に戰鼓を持たしむるを造り、銀を以て之を裹み、極めて華焕なり。宻かに諜者をして陽りて之を賣りて明珠族に入らしむ。後に乃ち驍卒數百人を擇びて之を戒めて曰く、凡そ銀鼓を負いて自ら隨う者を見れば、力を併せて之を擒えよと。一日、羌酋、鼔を負いて出づ。遂に擒うる所と為る。
現代語訳
宝元年間、党項が国境を侵した。明珠族の首領がいた。勇猛で、最も国境の患いであった。种世衡は将として、計略でこれを捕らえようとした。その者が太鼓を打つのを好むと聞いた。そこで馬に軍鼓を担がせるものを作り、銀でそれを包んで、たいそう華やかにした。ひそかに間諜に、偽ってそれを売らせて明珠族に持ち込ませた。後になって勇猛な兵を数百人選んで戒めて言った。「もし銀の太鼓を背負って従わせている者を見たら、力を合わせてこれを捕らえよ」。ある日、羌の首長が太鼓を背負って出てきた。そこで捕らえられた。
解説
目印を、相手に自分から身につけさせた条です。太鼓を打つのを好むと聞いて、銀で包んだ華やかな軍鼓を作り、間諜に売らせて持ち込ませた。そして兵に告げます。銀の太鼓を背負って従わせている者を見たら、力を合わせて捕らえよ。顔を知らなくても、それだけで見分けられる。好みを聞き出したところから、全部が始まっています。
この章句が説くこと
其の鼓を撃つを好むを聞く其の鼔を擊つを好むを聞く銀を以て之を裹み極めて華焕なり宻かに諜者をして陽りて之を売らしむ銀を以て之を裹み極めて華焕なり密かに諜者をして陽りて之を売らしむ凡そ銀鼓を負いて自ら随う者を見れば力を併せて之を擒えよ計略
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