宋名臣言行録 / 後集巻十・韓維
公篤志好學嘗以進士薦禮部父任執政不就廷試乃以父任守將作監主簿丁外艱服除闔門不仕仁宗患搢紳奔競諭近臣曰恬退守道旌擢則躁求者自當知恥於是宰相文彦博宋庠等言公好古嗜學安於静退乞加甄錄以厚風俗召試學士院辭不赴除國子監主簿
新字:公篤志好学嘗以進士薦礼部父任執政不就廷試乃以父任守将作監主簿丁外艱服除闔門不仕仁宗患搢紳奔競諭近臣曰恬退守道旌擢則躁求者自当知恥於是宰相文彦博宋庠等言公好古嗜学安於静退乞加甄録以厚風俗召試学士院辞不赴除国子監主簿
書き下し
公志篤く學を好む。嘗て進士を以て禮部に薦めらるるも、父執政に任ぜらるるを以て廷試に就かず。乃ち父の任を以て將作監主簿を守る。外艱に丁り、服除して門を闔じて仕えず。仁宗搢紳の奔競を患え、近臣に諭して曰く、恬退守道の者を旌擢すれば則ち躁求する者は自ら當に恥を知るべしと。是に於いて宰相文彦博・宋庠等公の古を好み學を嗜み静退に安んずるを言い、甄錄を加えて以て風俗を厚くせんことを乞う。召して學士院に試みんとす。辭して赴かず。國子監主簿を除す。
現代語訳
公は志が篤く学を好んだ。かつて進士として礼部に推薦されたが、父が執政に任じられていたので廷試に臨まなかった。そこで父の任によって将作監主簿の職に就いた。父の喪に服し、喪が明けても門を閉ざして仕えなかった。仁宗は官人たちが走り回って競うのを憂え、近臣に諭して言った。「淡々と退いて道を守る者を表彰して抜擢すれば、あくせく求める者はおのずと恥を知るはずである」。そこで宰相の文彦博・宋庠らが、公が古を好み学を嗜み、静かに退いていることに安んじていると述べ、選び出して用いることで風俗を厚くするよう願い出た。召して学士院で試験しようとした。辞退して赴かなかった。国子監主簿に任じた。
解説
走り回る者を叱るのではなく、逆から直そうとした条です。**淡々と退いて道を守る者を表彰して抜擢すれば、あくせく求める者はおのずと恥を知るはずである。**禁じても、抜け道を探すだけです。求めない人が上がる実例を一つ作れば、走ることの意味が薄れる。そして選ばれた本人が、試験さえ辞退しています。**辞退して赴かなかった。**表彰されることすら求めない、という一貫でした。
この章句が説くこと
公志篤く学を好む父執政に任ぜらるるを以て廷試に就かず仁宗搢紳の奔競を患う恬退守道の者を旌擢すれば則ち躁求する者は自ら当に恥を知るべし召して学士院に試みんとす辞して赴かず奔競静退
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博公相と爲り、進對に因りて言う、嘗て德音を聞くに、搢紳多く奔競に務む、之を裁抑するに非ざれば以て風俗を厚くする無しと。稍ミ恬退の人を旌すに若くは莫し。則ち躁競する者は自ら愧恥を知らんと。乃ち王安石・韓維・張瓌を薦む。皆擢用せらる。龐籍時に樞使爲り。公と之と同じく兵を省くを議し、汰して民と爲す者六萬、廩給を減じて半ばと爲す者又た二萬なり。
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾公言う、頃ろ制科に試みて程に中りし後、英宗即ち便ち知制誥を授けんと欲す。相國韓公曰く、軾の材は遠大の器なり。他日自ら當に天下の用と爲るべし。要は朝廷之を培養し、天下の士をして畏慕降伏せざる莫く、皆朝廷の之を進用せんことを欲せしめ、然る後に取りて之を用うれば則ち人人復た異辭無からん。今驟かに之を用うれば則ち士は未だ必ずしも以て然りと爲さず。適ま以て之を累わすに足るのみと。乃ち直史館を授く。公之を聞きて曰く、韓公は人を愛するに德を以てすと謂う可しと。
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