宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
發解開封府舉人時惟禮部貢院置封彌謄錄二司開封止有封彌官公請並設謄錄司以示至公從之
新字:発解開封府舉人時惟礼部貢院置封弥謄録二司開封止有封弥官公請並設謄録司以示至公従之
書き下し
開封府の舉人を發解す。時に惟だ禮部貢院のみ封彌・謄錄の二司を置く。開封には止だ封彌の官有るのみ。公、並びに謄錄司を設けて以て至公を示さんことを請う。之に從う。
現代語訳
開封府の科挙受験者を選抜して送り出す役に当たった。当時、封彌(受験者の名を封じ隠す)と謄録(答案を書き写す)の二つの部署を置いていたのは礼部の貢院だけで、開封府には封彌の官がいるだけだった。韓琦は謄録司も併せて設けて、極めて公正であることを示すよう願い出た。その通りになった。
解説
四十字の、仕組みの条です。封彌は受験者の名を封じて隠す仕組み、謄録は答案を書き写して筆跡から誰か分からなくする仕組みでした。名を隠しても筆跡が残れば見分けはつく。二つ揃って初めて働きます。中央の貢院には両方あり、開封府には片方しかなかった。願い出た言葉が的確です。極めて公正であることを示す。公正であることと、公正だと外から見えることを、同じ一文で扱っています。
この章句が説くこと
惟だ礼部貢院のみ封弥謄録の二司を置く開封には止だ封弥の官有るのみ並びに謄録司を設けて以て至公を示さんことを請う公正仕組み選抜
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