宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
宮禁火災公馳入對上驚惶語公曰兩朝所積朕不妄費一朝殆盡誠可惜也公對曰陛下富有天下財帛不足憂所慮者政令賞罰有不當臣備位宰相天災如此臣當罷免繼上表待罪上乃降詔罪已許中外上封事言朝政得失後有大臣言非天災乃某王宫失火禁請置獄出其狀當斬決者數百人公持以歸翌日乞獨對曰初火災陛下降詔罪已臣上表待罪今反歸咎于人何以示信且火雖有迹寧知非天譴邪果欲行法願罪臣始以明無狀上欣然聴納減死者幾百輩
新字:宮禁火災公馳入対上驚惶語公曰両朝所積朕不妄費一朝殆尽誠可惜也公対曰陛下富有天下財帛不足憂所慮者政令賞罰有不当臣備位宰相天災如此臣当罷免継上表待罪上乃降詔罪已許中外上封事言朝政得失後有大臣言非天災乃某王宮失火禁請置獄出其状当斬決者数百人公持以帰翌日乞独対曰初火災陛下降詔罪已臣上表待罪今反帰咎于人何以示信且火雖有迹寧知非天譴邪果欲行法願罪臣始以明無状上欣然聴納減死者幾百輩
書き下し
宮禁火災あり。公馳せ入りて對す。上驚惶して公に語りて曰く、兩朝の積む所、朕妄りに費やさず。一朝にして殆ど盡く。誠に惜しむ可しと。公對えて曰く、陛下は富みて天下を有つ。財帛は憂うるに足らず。慮る所の者は、政令・賞罰に不當有るなり。臣、宰相に位を備う。天災此くの如し。臣當に罷免さるべしと。繼いで表を上りて罪を待つ。上乃ち詔を降して己を罪し、中外の封事を上りて朝政の得失を言うを許す。後、大臣の、天災に非ず、乃ち某王の宮の失火なりと言う有り。獄を置きて其の狀を出ださんことを請う。當に斬決すべき者數百人なり。公持して以て歸る。翌日、獨對を乞いて曰く、初め火災あり。陛下詔を降して己を罪す。臣は表を上りて罪を待つ。今、反って咎を人に歸せば、何を以て信を示さん。且つ火に迹有りと雖も、寧んぞ天譴に非ざるを知らんや。果たして法を行わんと欲せば、願わくは臣を罪して、始めて以て無狀を明らかにせよと。上欣然として聴納す。死を減ずる者幾ど百輩なり。
現代語訳
宮中に火災があった。公は急ぎ参内して応対した。帝はうろたえて公に言った。「二代にわたって蓄えたものを、私はみだりに費やさなかった。それが一朝でほとんど尽きた。まことに惜しいことだ」。公は答えた。「陛下は富んで天下を持っておられます。財貨は憂えるに足りません。心配すべきは、政令や賞罰に当を得ないところがあることです。臣は宰相の位を汚しております。天の災いがこのようであるのですから、臣は罷免されるべきです」。続いて上表して処分を待った。帝はそこで詔を下して自ら責め、内外から封書を差し出して朝政の得失を述べることを許した。後に、これは天災ではなく某王の宮からの失火だと言う大臣があった。獄を設けてその実情を明らかにするよう願い出た。斬罪に当たる者が数百人であった。公はその書類を持ったまま帰った。翌日、単独の拝謁を願い出て言った。「はじめ火災があったとき、陛下は詔を下して自らを責められました。臣は上表して処分を待ちました。いま逆に咎を人に帰すなら、何によって信を示すのですか。そのうえ火に痕跡があったとしても、それが天の咎めでないとどうして分かりましょう。どうしても法を行おうとお考えなら、どうか臣を罰して、まず私のふつつかを明らかにしてください」。帝は喜んでこれを聞き入れた。死を免れた者は百人近くにのぼった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
-
『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
-
『呻吟語』内篇・談道・相責各盡の四字天下の治亂は、只だ「相責各盡」の四字に在るのみ。
-
史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
-
史記 循吏列伝文公曰く、「子は則ち自ら以て罪有りと為す、寡人も亦罪有るか」と。李離曰く、「理に法有り、刑を失へば則ち刑し、死を失へば則ち死す。公臣の能く微を聴き疑はしきを決するを以て、故に理為らしむ。今過ちて聴きて人を殺す、罪死に当たる」と。遂に令を受けず、剣に伏して死す。太史公曰く、孫叔敖一言を出だして、郢の市復す。子産病みて死し、鄭の民号哭す。公儀子好布を見て家婦逐はる。石奢父を縦して死し、楚の昭名立つ。李離過ちて殺して剣に伏し、晋の文以て国法を正す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る