宋名臣言行録 / 前集巻九・尹洙
范公貶饒州諫官御史不肯言師魯上書言仲淹臣之師友願得俱貶貶監郢州酒税
新字:范公貶饒州諫官御史不肯言師魯上書言仲淹臣之師友願得倶貶貶監郢州酒税
書き下し
范公、饒州に貶せらる。諫官・御史、肯えて言わず。師魯、書を上りて言う、仲淹は臣の師友なり。願わくは俱に貶せらるるを得んと。貶せられて郢州の酒税を監す。
現代語訳
范仲淹が饒州に流された。諫官も御史も、あえて物を言わなかった。尹洙は書を上げて言った。「范仲淹は私の師であり友です。どうか一緒に流されたい」。それによって落とされて、郢州の酒税を監督する職になった。
解説
三十三字の条です。**范仲淹は私の師であり友です。どうか一緒に流されたい。**弁護ではありません。同じ罰を受けさせてくれ、と願い出ている。諫官も御史も黙っていた場面です。かばえば自分も同じ扱いになる。それを先に自分から申し出ました。**そのとおりになって、酒税を監督する職に落とされています。**
この章句が説くこと
諫官御史肯えて言わず仲淹は臣の師友なり願わくは倶に貶せらるるを得ん貶せられて郢州の酒税を監す連座師友覚悟
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