宋名臣言行録 / 前集巻一・趙普
彌徳超自冗列為諸司使驟被委遇誣奏曹彬有不軌謀太宗疑之拜徳超樞宻副使不數月普拜相因為辯雪上乃大悟即逐徳超而待彬如故自是數日上頗不懌從容謂普曰朕以聴斷不明幾悟大事夙夜循省内愧于心普對曰陛下知徳超才幹而任用之察曹彬無罪而昭雪之有勞者進有罪者誅物無遁情事至立斷此所以彰陛下之明聖也雖堯舜何以過哉上于是釋然
新字:弥徳超自冗列為諸司使驟被委遇誣奏曹彬有不軌謀太宗疑之拝徳超枢宻副使不数月普拝相因為弁雪上乃大悟即逐徳超而待彬如故自是数日上頗不懌従容謂普曰朕以聴断不明幾悟大事夙夜循省内愧于心普対曰陛下知徳超才幹而任用之察曹彬無罪而昭雪之有労者進有罪者誅物無遁情事至立断此所以彰陛下之明聖也雖堯舜何以過哉上于是釈然
書き下し
彌徳超、冗列より諸司使と為り、驟かに委遇せらる。曹彬に不軌の謀有りと誣奏す。太宗之を疑い、徳超を樞宻副使に拜す。數月ならずして普相に拜せらる。因りて為に辯雪す。上乃ち大いに悟り、即ち徳超を逐いて彬を待つこと故の如し。是れより數日、上頗る懌ばず。從容として普に謂いて曰く、朕、聴斷の明らかならざるを以て、幾ど大事を悟らんとす。夙夜循省して、内に心に愧ずと。普對えて曰く、陛下、徳超の才幹を知りて之を任用し、曹彬の罪無きを察して之を昭雪す。勞有る者は進み、罪有る者は誅せられ、物に遁情無く、事至れば立ちどころに斷ず。此れ陛下の明聖を彰らかにする所以なり。堯舜と雖も何を以て過ぎんやと。上是に於て釋然たり。
現代語訳
弥徳超は下級の列から諸司使となり、急に厚く用いられた。そして曹彬に叛く企てがあると偽って奏上した。太宗はこれを疑い、徳超を枢密副使に任じた。数か月もしないうちに趙普が宰相に任じられ、曹彬のために潔白を明らかにした。太宗はそこで大いに悟り、すぐに徳超を追放して曹彬をもとどおりに遇した。それから数日、太宗はひどく心が晴れなかった。落ち着いて趙普に言った。「私は聴き分けが明らかでなかったために、あやうく大事を誤るところだった。朝晩わが身を省みて、内心恥じている」。趙普は答えた。「陛下は徳超の才幹を知って任用され、曹彬に罪の無いことを察して雪がれました。功のある者は進み、罪のある者は罰せられ、物事に隠された情はなく、事が起これば即座に決まる。これこそ陛下の明らかで聖なることを示すものです。堯や舜であっても、どうしてこれに勝りましょう」。太宗はそこで気持ちが晴れた。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一義経軍歌(よしつねぐんか)に、「大将(たいしょう)は人(ひと)に言葉(ことば)を能(よ)くかけよ」とあり。組被官(くみひかん)にても自然(しぜん)の時(とき)は申(もう)すに及(およ)ばず、平生(へいぜい)にも、「さても能(よ)く仕(し)たり、ここを一(ひと)つ働(はたら)き候(そうら)え、曲者(くせもの)かな(見事なやつだ)」と申(もう)し候(そうろう)時(とき)、身(み)の命(いのち)を惜(お)しまぬものなり。とかく一言(ひとこと)が大事(だいじ)のものなり。
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論語・季氏篇孔子曰く、「『善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。』吾其の人を見たり、吾其の語を聞けり。『隠居して以て其の志を成し、義を行いて以て其の道を達す。』吾其の語を聞けり、未だ其の人を見ざるなり。」
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『韓非子』初見秦第一大王誠に其の説を聴きて、一挙にして天下の従破れず、趙挙がらず、韓亡びず、荆・魏臣とせず、斉・燕親しまず、霸王の名成らず、四隣の諸侯朝せずんば、大王臣を斬りて以て国に徇え、以て王の為に謀りて忠ならざる者の戒めと為せ。
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史記 伯夷列伝「君子は世を没して名の称せられざるを疾む」。賈子曰く、「貪夫は財に徇じ、烈士は名に徇じ、夸者は権に死し、衆庶は生を馮む」と。「同明は相ひ照らし、同類は相ひ求む。雲は龍に従ひ、風は虎に従ふ。聖人作りて万物覩はる」。伯夷・叔斉は賢なりと雖も、夫子を得て名益々彰はる。顔淵は篤学なりと雖も、驥尾に附して行ひ益々顕はる。巌穴の士、趣舎此くの若き時有り、類名堙滅して称せられざるは、悲しいかな。閭巷の人、行ひを砥ぎ名を立てんと欲する者は、青雲の士に附くに非ずんば、悪んぞ能く後世に施かんや。
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廟堂忠告・獻納第九人臣の言を君に納るるや、事いまだ然らざるに之を言えば、則ち十に八九從う。事無ければ則ち游畋般樂(ゆうでんはんらく)し、日に相親比す。一旦不可なる所有れば、乃ち左に遮り右に挽き、其の力を極めて以て之を救うも、殆ど其の濟る者を見ず。政(たと)い或いは允すも、亦必ず勉強に出でて其の本心に非ず。若し夫れ納言に善き者は則ち然らず、或いは進見に因り、或いは講讀に因り、或いは燕居に因り、事に先だちて陳說す、「是くの如くなれば則ち國安し、是くの如くなれば則ち國危うし、是くの如くなれば則ち聖君と為り、是くの如くなれば則ち暴主と為る」と。或いは古昔を引き、或いは祖宗を援き、必ず之をして心悟神會せしめ、表裏聳然として、乃ち善を陳べて扞格(かんかく)の患い無かるべし。昔孟子三たび齊王に見えて事を言わず、曰く、「我先ず其の邪心を攻めん」と。大臣の君に事うる、職當に此くの如くなるべし。古人甚だしきに至りては自ら言うに難き者有り、往往にして名の耆年宿德(きねんしゅくとく)なる者を旁(かたわら)にして、諸(これ)を左右に置き、人君をして畏憚する所有りて敢えて恣(ほしいまま)にせざらしむ、則ち其の慮を為すこと亦深遠なり。然りと雖も、臣の君に於けるや、入りては則ち懇懇として以て忠を盡し、出でては則ち謙謙として以て自ら悔ゆ。凡そ上に白す所の者、外に洩らして諸人に伐(ほこ)るべからず。善は則ち君に歸し、過ちは則ち巳に歸す。其れ是くの如き者は、嫌を遠ざけ禍を避けんと欲するに非ず、大臣の體(たい)の當に然るべき所なり。坤の六二、章を含みて貞にすべし、盖し亦此の意なり。甞て見る、近代の執政、建白する所有りて呶呶(どうどう)焉として惟だ人の知らざるを恐れ、卒に讒譖(ざんせん)の之に乘ずるに至り、中途にして棄てらる。易の大係に謂う所の「君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失う」とは、諒(まこと)なるかな。
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『韓非子』難一第三十六臣大逆を行うに、平公喜びて之を聴く。是れ君の道を失うなり。