宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
陳衍初管當御藥院公為諌議僦居城西白家巷東鄰陳衍園也衍每至園中不敢髙聲謂同列曰范諌議一言到上前吾輩不知死所矣
新字:陳衍初管当御薬院公為諌議僦居城西白家巷東鄰陳衍園也衍毎至園中不敢高声謂同列曰范諌議一言到上前吾輩不知死所矣
書き下し
陳衍初め御藥院を管當す。公諫議爲り、城西白家巷に僦居す。東鄰は陳衍の園なり。衍園中に至る每に、敢えて高聲せず。同列に謂いて曰く、范諫議の一言上前に到らば、吾輩死所を知らず、と。
現代語訳
陳衍がはじめ御薬院を管掌していた。范祖禹は諫議大夫で、城の西の白家巷に借家していた。その東隣は陳衍の庭園であった。陳衍は庭園に来るたびに、あえて大きな声を出さなかった。同僚に言った。「范諫議の一言が天子の御前に届いたら、我々は死に場所も分からなくなる」。
解説
五十三字で、諫官という職の重さが分かります。范祖禹は何もしていません。隣に住んでいるだけです。**その東隣は陳衍の庭園であった。陳衍は庭園に来るたびに、あえて大きな声を出さなかった。**声を潜めたのは、後ろ暗いところがあるからでした。理由も言葉にされています。**范諫議の一言が天子の御前に届いたら、我々は死に場所も分からなくなる。**動かなくても効く力があります。ただしそれは、言えば通ると信じられている人にだけ生じました。
この章句が説くこと
陳衍初め御薬院を管当す公諫議為り城西白家巷に僦居す東鄰は陳衍の園なり衍園中に至る毎に敢えて高声せず范諫議の一言上前に到らば吾輩死所を知らず諫官抑止
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