宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
祥符中公在掖垣時瑞應沓臻公嘗請對上語及之公奏曰斯誠國家承平所感而致然願推而勿居異日或有災沴則免夫輿議退又白于執政及後飛蝗旱暵乃亟被擢用焉
新字:祥符中公在掖垣時瑞応沓臻公嘗請対上語及之公奏曰斯誠国家承平所感而致然願推而勿居異日或有災沴則免夫輿議退又白于執政及後飛蝗旱暵乃亟被擢用焉
書き下し
祥符中、公、掖垣に在り。時に瑞應沓に臻る。公嘗て對を請う。上、語りて之に及ぶ。公奏して曰く、斯れ誠に國家承平の感じて致す所なり。然れども願わくは推して居る勿かれ。異日、或いは災沴有らば、則ち夫の輿議を免れんと。退きて又た執政に白す。後、飛蝗・旱暵に及び、乃ち亟かに擢用せらる。
現代語訳
祥符年間、公は門下省にいた。当時、めでたい兆しが次々に現れていた。公はかつて拝謁を願い出た。帝は話がそこに及んだ。公は奏上して言った。「これはまことに国家が太平であることに感じて現れたものです。しかしどうか、それを自分の手柄としてお持ちにならないように。いつか災害や異変があったときには、世間の議論を免れられます」。退出してからまた執政にも申し上げた。後に蝗の害と旱魃が起こって、そこで急に引き上げられた。
解説
めでたい兆しが続いていた時期に、それを引き受けるなと言った条です。理屈が実際的でした。**手柄として持たなければ、いつか災害が起こったときに、世間の議論を免れられます。**良いことの手柄を取れば、悪いことの責めも来る。称賛と非難は同じ回路で来る、という話です。実際に蝗と旱魃が起こったとき、この人は急に引き上げられました。
この章句が説くこと
斯れ誠に国家承平の感じて致す所なり然れども願わくは推して居る勿かれ異日或いは災沴有らば則ち夫の輿議を免れん称賛責任対称
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