宋名臣言行録 / 前集巻八・王徳用
韓忠獻宋景文同召試中選公帶平章事例當謝二公有空踈之謙言公曰亦曽見程文誠空疎少年更宜廣問學二公大不堪宋曰吾屬見一老衙官乃納侮也後二公俱成大名公巳薨韓謂宋曰王公雖武人尚有前軰激礪成就後學之意不可㤀也
新字:韓忠献宋景文同召試中選公帯平章事例当謝二公有空踈之謙言公曰亦曽見程文誠空疎少年更宜広問学二公大不堪宋曰吾属見一老衙官乃納侮也後二公倶成大名公巳薨韓謂宋曰王公雖武人尚有前軰激礪成就後学之意不可㤀也
書き下し
韓忠獻・宋景文、同に召されて試みて選に中る。公、平章事を帶ぶ。例として當に謝すべし。二公、空踈の謙有りて言う。公曰く、亦た曽て程文を見る。誠に空疎なり。少年、更に宜しく廣く問學すべしと。二公大いに堪えず。宋曰く、吾が屬、一老衙官に見えて、乃ち侮を納るるなりと。後、二公俱に大名を成す。公巳に薨ず。韓、宋に謂いて曰く、王公は武人なりと雖も、尚お前軰の後學を激礪し成就するの意有り。㤀る可からざるなりと。
現代語訳
韓琦と宋祁がともに召されて試験を受け、選に通った。公は平章事を帯びていた。慣例として礼を述べるべきであった。二人は「浅学です」と謙遜して言った。公は言った。「私もその答案を見た。まことに浅い。若い者はさらに広く学問を問うべきだ」。二人はひどく堪えられなかった。宋祁は言った。「我らは一人の老いた武官に会って、侮りを受けたわけだ」。後に二人ともに大きな名を成した。公はもう亡くなっていた。韓琦は宋祁に言った。「王公は武人ではあったが、それでも先輩として後進を励まし鍛えて成し遂げさせようという意があった。忘れてはならない」。
解説
謙遜の挨拶を、そのまま受け取った条です。**私もその答案を見た。まことに浅い。若い者はさらに広く学問を問うべきだ。**二人は腹を立てました。**我らは一人の老いた武官に会って、侮りを受けたわけだ。**この一言に、文官が武人を見下す気配まで入っています。後年、二人とも名を成してから、韓琦が言い直しました。**それでも先輩として後進を励まし鍛えようという意があった。忘れてはならない。**
この章句が説くこと
二公空踈の謙有りて言う亦た曽て程文を見る誠に空疎なり少年更に宜しく広く問学すべし王公は武人なりと雖も尚お前軰の後学を激礪し成就するの意有り謙遜直言若手
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