宋名臣言行録 / 前集巻十・蘇洵
嘉祐初王安石名始盛黨友傾一時歐陽修亦善之勸先生與之遊而安石亦願友於先生先生曰吾知其人矣是亦不近人情者鮮不為天下患安石之母死士大夫皆吊先生獨不徃作辨姦一篇先生既沒三年而安石用事其言乃信
新字:嘉祐初王安石名始盛党友傾一時欧陽修亦善之勧先生与之遊而安石亦願友於先生先生曰吾知其人矣是亦不近人情者鮮不為天下患安石之母死士大夫皆吊先生独不往作弁姦一篇先生既没三年而安石用事其言乃信
書き下し
嘉祐の初め、王安石の名始めて盛んに、黨友一時に傾く。歐陽修も亦た之を善しとし、先生に之と遊ばんことを勸む。而して安石も亦た先生に友たらんことを願う。先生曰く、吾其の人を知れり。是れ亦た人情に近からざる者なり。天下の患いと爲らざるは鮮しと。安石の母死し、士大夫皆吊す。先生獨り徃かず、辨姦一篇を作る。先生既に沒して三年にして安石事を用う。其の言乃ち信なり。
現代語訳
嘉祐の初め、王安石の名が盛んになり始め、党友が一時になびいた。欧陽脩もこれをよしとして、蘇洵に交際するよう勧めた。王安石のほうも蘇洵と友になりたいと願った。蘇洵は言った。「私はあの人物を知っている。あれもまた人情に近くない者だ。人情に近くない者で、天下の患いにならない者は少ない」。王安石の母が死に、士大夫はみな弔問した。蘇洵ひとりは行かず、「弁姦論」一篇を作った。蘇洵が没して三年で王安石が政を執った。その言葉は、そのとおりになった。
解説
誰もが近づいた相手に、一人だけ近づかなかった条です。しかも欧陽脩が勧め、相手のほうも友になりたいと望んでいる。断る理由が能力の評価ではありません。**あれもまた人情に近くない者だ。人情に近くない者で、天下の患いにならない者は少ない。**弔問にも行かず、その日に代えて一篇を書いた。三年後に王安石が政を執ります。次の二つの条は、その「弁姦論」の中身です。
この章句が説くこと
吾其の人を知れり是れ亦た人情に近からざる者なり天下の患いと為らざるは鮮し安石の母死し士大夫皆吊す先生独り往かず弁姦一篇を作る人物眼距離人情
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