宋名臣言行録 / 前集巻七・杜衍
公食于家惟一麵一飯而已或羙其儉公曰衍本一措大爾名位服用皆國家者俸入之餘以給親族之貧者常恐浮食焉敢以自奉也一旦名位爵禄國家奪之却為一措大又將何以自奉養耶又嘗戒門生曰天下惟浙人褊急易動柔懦少立衍自在幕府至於監司人尚不信及為三司副使累於上前執奏不移人始信之反曰杜衍如是莫非兩浙生否其輕吾黨也如此觀子識慮髙逺志尚端慤他日植立當為鄉曲之顯謹勿少枉為時所上下也
新字:公食于家惟一麺一飯而已或羙其倹公曰衍本一措大爾名位服用皆国家者俸入之余以給親族之貧者常恐浮食焉敢以自奉也一旦名位爵禄国家奪之却為一措大又将何以自奉養耶又嘗戒門生曰天下惟浙人褊急易動柔懦少立衍自在幕府至於監司人尚不信及為三司副使累於上前執奏不移人始信之反曰杜衍如是莫非両浙生否其軽吾党也如此観子識慮高遠志尚端慤他日植立当為鄉曲之顕謹勿少枉為時所上下也
書き下し
公、家に食するに、惟だ一麵一飯のみ。或るひと其の儉を羙む。公曰く、衍は本と一措大のみ。名位・服用は皆な國家の者なり。俸入の餘は以て親族の貧なる者に給す。常に浮食を恐る。焉んぞ敢えて以て自ら奉ぜんや。一旦、名位・爵禄、國家之を奪わば、却って一措大と為らん。又た將に何を以て自ら奉養せんとするやと。又た嘗て門生を戒めて曰く、天下惟だ浙人のみ褊急にして動き易く、柔懦にして立つこと少なし。衍、幕府に在りしより監司と為るに至るまで、人尚お信ぜず。三司副使と為るに及び、累ねて上前に執奏して移らず。人始めて之を信ず。反って曰く、杜衍是くの如し。兩浙の生に非ざるかと。其の吾が黨を輕んずること此くの如し。子の識慮の髙遠、志尚の端慤なるを觀るに、他日、植立して當に鄉曲の顯と為るべし。謹んで少しも枉げて時の為に上下せらるる勿かれと。
現代語訳
公が家で食事をするのに、ただ麺一つと飯一つだけであった。ある人がその倹しさを褒めた。公は言った。「私はもともと一介の貧書生にすぎない。名も位も、着るものも使うものも、みな国家のものだ。俸禄の余りは、親族の貧しい者に配っている。いつも分不相応に食べていることを恐れている。どうして自分のために使えようか。ある日、名も位も爵も禄も国家が取り上げれば、また一介の貧書生に戻る。そうしたら何によって自分を養うのか」。またかつて門下の学生を戒めて言った。「天下でただ浙江の人だけが、狭量でせっかちで動きやすく、柔弱で立つところが少ない。私が幕府にいたころから監司になるまで、人はまだ私を信じなかった。三司副使になって、たびたび御前で主張して曲げなかった。人ははじめて信じた。かえって言った。杜衍はこのとおりだ、両浙の生まれではないのではないか、と。私の郷党を軽んずることは、このとおりだ。君の見識と思慮が高く遠く、志が端正で誠実なのを見るに、いつか立って郷里の名を上げる人になるだろう。慎んで、少しも曲げて時勢に上下されてはならない」。
解説
この章句が説くこと
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論語・郷党篇孔子、郷党に於いて、恂恂如たり、言うこと能わざる者に似たり。其の宗廟朝廷に在るや、便便として言い、唯だ謹めるのみ。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、政府より出でて姑蘓に歸る。黄を焚き、外庫を搜すに、惟だ絹三千匹有るのみ。親戚及び閭里の知舊を錄して之を散じて皆な盡くす。曰く、宗族・鄉黨、我の生長し、幼くして學び壯にして仕うるを見る。我を助けて喜ぶ。我、何を以て之に報いんやと。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍公、客を享するに多く髹器を用う。客に面のあたり稱嘆する有りて曰く、公、相と為りて清貧なること乃ち爾るかと。公、侍人に命じて盡く白金の燕器を取りて前に陳ねしめて曰く、衍、此を乏しとするに非ず。雅より好まざるのみと。然れども公の性は施すを好み、亦た卒に蓄えざるなり。張唐公侍讀壊、曰く、公の施すを好むは人の能く及ぶ所なり。其の妄りに施さざるは人の能わざる所なりと。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍又た曰く、今の上に在る者、多く下位の小節を擿發す。是れ誠に恕せざるなり。衍、兖州を知る時、州縣の官に累重くして素より貧しき者有り。公租の得る所を以て之を均給す。公租給せざれば即ち繼ぐに公帑を以てす。其の小大を量りて、咸な自ら足らしむ。尚お復た侵擾する者有らば、真の貪吏なり。義に於て責む可しと。又た曰く、衍、州を知り提轉・安撫を厯するに、未だ嘗て一箇の官員をも壊らず。其の間、不職なる者は、即ち委ぬるに事を以てし、之をして惰るに暇あらざらしむ。不慎なる者は、諭すに禍福を以てし、之をして自ら新たならしむ。從いて善に遷る者甚だ衆し。必ずしも繩するに法を以てせざるなり。其の文學・政事・殊行・絶徳有る者は、面を識らずと雖も、未だ嘗て力めて朝に薦めずんばあらず。一善の稱す可き、一長の錄す可き者有らば、亦た未だ嘗て所能に隨いて之を薦めずんばあらず。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍公、退きて南都に寓す。資産を殖やさず。第宅卑陋なるも、之に居りて裕如たり。烏㡌・皂綈袍・革帶なり。親故、或いは宜しく居士の服を為すべしと言う。公曰く、老いて事を謝す。尚お髙士の名を竊む可けんやと。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍門生に縣令と為る者有り。公之を戒めて曰く、子の才器、一縣令は施すに足らず。然れども切に當に韜晦して圭角を露わす無かるべし。方を毁ちて瓦合し、中に合うを求むれば可なり。然らずんば事に益無く、徒らに禍を取るのみと。門生曰く、公は平生、直亮忠信を以て天下に重んぜらる。今、反って某に誨うるに此を以てするは何ぞやと。公曰く、衍は任を厯すること多く、年を厯すること乆し。上は帝王の知る所と為り、次は朝野の信ずる所と為る。故に其の志を申ぶるを得たり。今、子は縣令為り。巻舒・休戚、之を長吏に係く。夫れ良二千石なる者は固より得易からず。若し奏知せずんば、子、焉くんぞ以て其の志を申ぶるを得ん。徒らに禍を取るのみ。予、子に方を毁ちて瓦合し、中に合うを求めしめんと欲する所以なりと。