宋名臣言行録 / 前集巻四・髙瓊
上在澶淵南城瓊請幸河北曰陛下不幸北城百姓如喪考妣馮拯在旁呵之曰髙瓊何得無禮瓊怒曰君以文章為大臣今敵騎充斥如此猶責瓊無禮君何不賦一詩詠退敵騎耶上乃幸北城至浮橋猶駐輦未進瓊以所執撾築輦夫背曰何不亟行今已至此尚何疑焉上乃命進輦既至登北城門樓張黄龍旗將士皆呼萬嵗㑹敵將達蘭中弩死敵遂退他日上命凖召瓊詣中書戒之曰卿本武臣勿強學儒士作書語也
新字:上在澶淵南城瓊請幸河北曰陛下不幸北城百姓如喪考妣馮拯在旁呵之曰高瓊何得無礼瓊怒曰君以文章為大臣今敵騎充斥如此猶責瓊無礼君何不賦一詩詠退敵騎耶上乃幸北城至浮橋猶駐輦未進瓊以所執撾築輦夫背曰何不亟行今已至此尚何疑焉上乃命進輦既至登北城門楼張黄竜旗将士皆呼万歳会敵将達蘭中弩死敵遂退他日上命凖召瓊詣中書戒之曰卿本武臣勿強学儒士作書語也
書き下し
上、澶淵の南城に在り。瓊、河北に幸せんことを請いて曰く、陛下、北城に幸せずんば、百姓、考妣を喪うが如しと。馮拯、旁に在りて之を呵して曰く、髙瓊、何ぞ無禮なるを得んと。瓊怒りて曰く、君は文章を以て大臣と為る。今、敵騎の充斥すること此くの如し。猶お瓊の無禮を責む。君、何ぞ一詩を賦して敵騎を詠じ退けざるやと。上乃ち北城に幸す。浮橋に至り、猶お輦を駐めて未だ進まず。瓊、執る所の撾を以て輦夫の背を築きて曰く、何ぞ亟かに行かざる。今、已に此に至る。尚お何をか疑わんやと。上乃ち輦を進むるを命ず。既に至りて北城の門樓に登り、黄龍旗を張る。將士皆な萬歳を呼ぶ。㑹々敵將達蘭、弩に中りて死す。敵遂に退く。他日、上、凖に命じて瓊を召して中書に詣らしめ、之を戒めて曰く、卿は本と武臣なり。強いて儒士を學びて書語を作す勿かれと。
現代語訳
帝が澶淵の南城にいた。高瓊は河北へ行幸するよう願い出て言った。「陛下が北城へお渡りにならなければ、民は父母を失ったようになります」。馮拯が傍らにいてこれを叱った。「高瓊、なんと無礼な」。高瓊は怒って言った。「あなたは文章によって大臣となられた。いま敵の騎兵がこのとおり満ちている。それでもなお私の無礼を責める。あなたは詩を一つ作って、敵の騎兵を詠んで退かせてみられてはどうか」。帝はそこで北城へ渡った。浮橋まで来て、まだ輦を止めて進まなかった。高瓊は手にした鞭で輦を担ぐ者の背を突いて言った。「なぜすぐに行かない。もうここまで来たのだ。まだ何をためらうのか」。帝はそこで輦を進めるよう命じた。渡り着いて北城の門楼に登り、黄龍の旗を掲げた。将兵はみな万歳を叫んだ。ちょうどそのとき敵将の達蘭が弩に当たって死んだ。敵はそこで退いた。後日、帝は寇準に命じて高瓊を中書省に呼び出させ、これを戒めた。「卿はもともと武臣である。無理に儒者を学んで文語を使うことはない」。
解説
この章句が説くこと
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