宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
仁宗朝嘗上書請興武學其略曰頃歳吳育巳建議興武學但官非其人不乆而廢今國子監直講内梅堯臣曽注孫子大明深義孫復而下皆明經㫖臣曽任邉陲丹州推官頗知武事若使堯臣等兼莅武學毎日只講論語使知忠孝仁義之道講孫吳使知制勝御敵之術於武臣子孫中選有智略者二三百人教習之則一二十年之間必有成效臣已撰成武學規矩一巻進呈時議難之
新字:仁宗朝嘗上書請興武学其略曰頃歳吳育巳建議興武学但官非其人不乆而廃今国子監直講内梅堯臣曽注孫子大明深義孫復而下皆明経旨臣曽任邉陲丹州推官頗知武事若使堯臣等兼莅武学毎日只講論語使知忠孝仁義之道講孫吳使知制勝御敵之術於武臣子孫中選有智略者二三百人教習之則一二十年之間必有成効臣已撰成武学規矩一巻進呈時議難之
書き下し
仁宗の朝、嘗て上書して武學を興さんことを請う。其の略に曰く、頃歳、吳育巳に武學を興さんことを建議す。但だ官其の人に非ずして、乆しからずして廢る。今國子監直講の内、梅堯臣は曽て孫子に注して大いに深義を明らかにす。孫復より下、皆經㫖に明らかなり。臣曽て邉陲丹州の推官に任じ、頗る武事を知る。若し堯臣等をして兼ねて武學に莅ましめ、毎日只だ論語を講じて忠孝仁義の道を知らしめ、孫吳を講じて勝を制し敵を御するの術を知らしめ、武臣の子孫の中に智略有る者二三百人を選びて之を教習せば、則ち一二十年の間、必ず成效有らん。臣已に武學規矩一巻を撰成して進呈すと。時議之を難ず。
現代語訳
仁宗の朝で、かつて上書して武学(軍事の学校)を興すよう願い出た。その要旨はこうである。「先年、呉育がすでに武学を興すことを建議しました。ただ担当の官がその人を得ず、久しからずして廃れました。いま国子監の直講のうち、梅堯臣はかつて『孫子』に注をつけて深い意味を大いに明らかにしています。孫復から下も、みな経書の意味に明るい。臣はかつて辺境の丹州の推官を務め、軍事のことをかなり知っております。もし梅堯臣らに武学を兼ねさせ、毎日ただ『論語』を講じて忠孝仁義の道を知らせ、『孫子』『呉子』を講じて勝ちを制し敵を防ぐ術を知らせ、武臣の子孫のなかから知略のある者を二、三百人選んで教え込めば、十年二十年のあいだに必ず成果が出ましょう。臣はすでに『武学規矩』一巻を書き上げて差し上げております」。当時の議論はこれを難じた。
解説
この章句が説くこと
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