宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬康
君性端謹性至孝居毋憂勺飲不入口者三日杖而後能起見者哀之文正居洛十五年往來陜洛間士之從學於公者退與君語未嘗不有得塗之人見其容止雖不識皆知其司馬公之子也公薨執䘮如夫人哀毁有加焉治䘮皆用禮經家法不為世俗事得遺恩悉以與族人
新字:君性端謹性至孝居毋憂勺飲不入口者三日杖而後能起見者哀之文正居洛十五年往来陜洛間士之従学於公者退与君語未嘗不有得塗之人見其容止雖不識皆知其司馬公之子也公薨執喪如夫人哀毁有加焉治喪皆用礼経家法不為世俗事得遺恩悉以与族人
書き下し
君は性端謹、性は至孝。母の憂に居り、勺飲も口に入れざる者三日。杖してしかる後に能く起つ。見る者之を哀しむ。文正洛に居ること十五年、陝洛の間を往來す。士の公に從學する者、退きて君と語れば未だ嘗て得る有らずんばあらず。塗の人其の容止を見れば識らずと雖も皆其の司馬公の子たるを知る。公薨じて喪を執ること夫人の如く、哀毀加うる有り。喪を治むるに皆禮經の家法を用い、世俗の事を爲さず。遺恩を得れば悉く以て族人に與う。
現代語訳
君は性質が正しく慎み深く、生まれつききわめて孝であった。母の喪に服したとき、三日のあいだ一杯の飲み物も口に入れなかった。杖をついてはじめて立ち上がることができた。見る者はこれを哀れんだ。父の文正公は洛陽に住むこと十五年、陝と洛のあいだを行き来した。士で司馬光に学んだ者は、退がって君と語れば、必ず得るところがあった。道行く人はその立ち居振る舞いを見れば、面識がなくとも、みなそれが司馬公の子であると分かった。父が亡くなると、喪に服すことは母のときと同じで、悲しみのあまり体を損なうことはさらに甚だしかった。喪を営むには礼の経典と家の法をすべて用い、世間並みのことをしなかった。父の恩によって受けた官位や品はことごとく一族の人に与えた。
解説
偉大な父を持った子の記録です。周りの見方が一行で書かれています。**道行く人はその立ち居振る舞いを見れば、面識がなくとも、みなそれが司馬公の子であると分かった。**似ていたのは顔ではなく、身のこなしでした。役目も具体的です。**士で司馬光に学んだ者は、退がって君と語れば、必ず得るところがあった。**父の講義の後に、噛み砕く役を担っている。そして受け取ったものの扱い方が最後です。**父の恩によって受けた官位や品はことごとく一族の人に与えた。**
この章句が説くこと
母の憂に居り勺飲も口に入れざる者三日士の公に従学する者退きて君と語れば未だ嘗て得る有らずんばあらず塗の人其の容止を見れば識らずと雖も皆其の司馬公の子たるを知る遺恩を得れば悉く以て族人に与う家風挙措
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