宋名臣言行録 / 前集巻五・蔡齊
公喜酒既登第通判濟州日飲醇酎往往至醉時太夫人年已髙頗憂之一日賈存道賈同字希徳門人私謚存道先生過濟公館之數日存道愛公之賢慮其以酒廢學生疾乃為詩示公曰聖君恩重龍頭選慈母年髙鶴髪垂君寵母恩俱未報酒如成病悔何追公矍然起謝之自是非親客不對酒終身未嘗至醉
新字:公喜酒既登第通判済州日飲醇酎往往至酔時太夫人年已高頗憂之一日賈存道賈同字希徳門人私謚存道先生過済公館之数日存道愛公之賢慮其以酒廃学生疾乃為詩示公曰聖君恩重竜頭選慈母年高鶴髪垂君寵母恩倶未報酒如成病悔何追公矍然起謝之自是非親客不対酒終身未嘗至酔
書き下し
公、酒を喜む。既に第に登り、濟州に通判たり。日々に醇酎を飲み、往往にして醉いに至る。時に太夫人の年已に髙し。頗る之を憂う。一日、賈存道、濟を過ぐ。公、之を館すること數日。存道、公の賢を愛し、其の酒を以て學を廢し疾を生ぜんことを慮る。乃ち詩を為りて公に示して曰く、聖君の恩は重し龍頭の選、慈母は年髙くして鶴髪垂る。君寵・母恩、俱に未だ報いず。酒、若し病を成さば悔い何ぞ追わんと。公、矍然として起ちて之に謝す。是れより親客に非ざれば酒に對せず。終身、未だ嘗て醉いに至らず。
現代語訳
公は酒を好んだ。及第して済州の通判となった。毎日、濃い酒を飲んで、しばしば酔い潰れた。当時、母君の年はもう高かった。たいそうそれを心配していた。ある日、賈存道が済州を通りかかった。公は数日にわたって宿を提供した。存道は公の賢さを愛し、酒のために学問を捨て病を得ることを心配した。そこで詩を作って公に示して言った。「聖君の恩は重い、状元の選である。慈母は年高く、鶴のような白髪が垂れている。君の寵と母の恩と、どちらもまだ報いていない。酒がもし病になったら、悔いても追いつくまい」。公ははっとして立ち上がり、礼を述べた。これ以後、親しい客でなければ酒に向かわなかった。生涯、二度と酔い潰れることがなかった。
解説
酒を戒めるのに、説教をしなかった条です。詩を一つ作って見せただけでした。**君の寵と母の恩と、どちらもまだ報いていない。酒がもし病になったら、悔いても追いつくまい。**やめろとは言っていません。まだ返していないものが二つある、と思い出させただけです。公ははっとして立ち上がり、礼を述べました。**生涯、二度と酔い潰れなかった。**
この章句が説くこと
君寵母恩倶に未だ報いず酒若し病を成さば悔い何ぞ追わん是れより親客に非ざれば酒に対せず終身未だ嘗て酔いに至らず忠告詩自制
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