宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
富丞相當國日引陳襄述古為上客述古所以吿富公者盡仁義也有不悦富公者造為五鬼之號而襄在其一夫流言待無知者而傳至智者則止矣以富公之賢其門豈無善士以述古之賢而肯為人作鬼乎
新字:富丞相当国日引陳襄述古為上客述古所以吿富公者尽仁義也有不悦富公者造為五鬼之号而襄在其一夫流言待無知者而伝至智者則止矣以富公之賢其門豈無善士以述古之賢而肯為人作鬼乎
書き下し
富丞相國に當たるの日、陳襄述古を引きて上客と爲す。述古の富公に吿ぐる所以の者は、盡く仁義なり。富公を悦ばざる者有り、造りて五鬼の號を爲す。而して襄其の一に在り。夫れ流言は無知なる者を待ちて傳わる。智者に至れば則ち止む。富公の賢を以てすれば、其の門豈に善士無からんや。述古の賢を以てして、肯えて人の爲に鬼と作らんや。
現代語訳
富弼が国政に当たっていたころ、陳襄を上客として引き立てた。陳襄が富弼に告げたことは、ことごとく仁義であった。富弼を快く思わない者がいて、「五鬼」という呼び名をこしらえた。そして陳襄はその一人に数えられた。そもそも流言というものは、知らない者のところで伝わる。知者のところに来れば止まる。富弼ほどの賢者であれば、その門下にどうして善い士がいないことがあろうか。陳襄ほどの賢者が、どうして人のために鬼になろうか。
解説
悪口に反論するのに、事実の照合をしていません。二つの筋道だけで片づけました。まず流言の性質です。流言というものは、知らない者のところで伝わる。知者のところに来れば止まる。止まらずに広がったこと自体が、聞いた側の程度を示している、と。次に人物からの推論を二段で置きます。富弼ほどの賢者であれば、その門下にどうして善い士がいないことがあろうか。そして本人について。陳襄ほどの賢者が、どうして人のために鬼になろうか。
この章句が説くこと
富丞相国に当たるの日陳襄述古を引きて上客と為す富公を悦ばざる者有り造りて五鬼の号を為す而して襄其の一に在り夫れ流言は無知なる者を待ちて伝わる智者に至れば則ち止む述古の賢を以てして肯えて人の為に鬼と作らんや流言判断
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