宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
公論性曰豈有生為此死又却為彼儘似見得後却云自有鬼神又却迷也
書き下し
公性を論じて曰く、豈に生きて此と爲り、死して又た却って彼と爲ること有らんやと。儘ミ見得たるに似たり。後に却って云う、自ら鬼神有りと。又た却って迷えるなり。
現代語訳
范鎮は性を論じて言った。「生きているあいだはこうであって、死ぬとまた別のものになる、などということがあろうか」。かなり分かっているように見える。後にはまた「おのずと鬼神はある」と言った。それでまた迷っているのである。
解説
程門の側からの短い評です。前半は評価しています。**生きているあいだはこうであって、死ぬとまた別のものになる、などということがあろうか。****かなり分かっているように見える。**生死で別物になるという考えを退けたところまでは、道理が通っている。ところが後で崩れました。**後にはまた「おのずと鬼神はある」と言った。それでまた迷っているのである。**一貫していない、という指摘です。この書は、褒める巻の中に、こういう短い減点も置いていきます。
この章句が説くこと
公性を論じて曰く豈に生きて此と為り死して又た却って彼と為ること有らんや儘ミ見得たるに似たり後に却って云う自ら鬼神有りと又た却って迷えるなり生死性
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