宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
元昊叛禁兵皆西而諸路守兵多㨂赴闕郡縣無備乃命調額外弓手公在睦州條上利害八事及是有㫖遣使於陜西河東京東西路刺弓箭手為宣毅保捷指揮公連上疏争之甚力不從所刺兵二十餘萬人皆市人不可用宣毅驕甚所至為冦自是民力大困國用一空識者以不從公言為恨
新字:元昊叛禁兵皆西而諸路守兵多㨂赴闕郡県無備乃命調額外弓手公在睦州条上利害八事及是有旨遣使於陜西河東京東西路刺弓箭手為宣毅保捷指揮公連上疏争之甚力不従所刺兵二十余万人皆市人不可用宣毅驕甚所至為寇自是民力大困国用一空識者以不従公言為恨
書き下し
元昊叛き、禁兵皆西す。而して諸路の守兵は多く揀びて闕に赴かしむ。郡縣備え無し。乃ち命じて額外の弓手を調う。公睦州に在りて利害八事を條上す。是に及びて旨有り、使いを陝西・河東・京東西路に遣わして弓箭手を刺し、宣毅・保捷指揮と爲す。公連ねて疏を上りて之を爭うこと甚だ力むるも從われず。刺す所の兵二十餘萬人は皆市人にして用う可からず。宣毅驕ること甚だしく、至る所に冦を爲す。是れより民力大いに困しみ、國用一空す。識者、公の言に從わざるを以て恨みと爲す。
現代語訳
元昊が叛き、近衛の兵はみな西へ向かった。そのうえ諸路の守備兵の多くを選んで都に呼び寄せた。郡や県には備えがなくなった。そこで命じて定員外の弓手を集めさせた。張方平は睦州にあって利害八か条を箇条書きで上申した。ここに至って詔があり、使者を陝西・河東・京東西路に遣わして弓箭手を徴集し、宣毅・保捷の部隊とした。張方平は続けざまに上疏して力を尽くして反対したが、聞き入れられなかった。徴集した兵二十余万人は、みな町の者で使いものにならなかった。宣毅軍はひどく驕り、行く先々で略奪をした。これより民の力は大いに疲れ、国庫は空になった。見識ある者は、張方平の言に従わなかったことを残念とした。
解説
数を揃えれば備えになる、という発想の結末です。集めるところまでは成功しました。**徴集した兵二十余万人。**中身が伴っていません。**みな町の者で使いものにならなかった。**それだけなら無駄で済みます。悪いのはその先でした。**宣毅軍はひどく驕り、行く先々で略奪をした。**使えない兵は、いないより悪い。抑止にならず、養う費用がかかり、そのうえ味方の土地を荒らす。**民の力は大いに疲れ、国庫は空になった。**
この章句が説くこと
元昊叛き禁兵皆西す郡県備え無し公連ねて疏を上りて之を争うこと甚だ力むるも従われず刺す所の兵二十余万人は皆市人にして用う可からず宣毅驕ること甚だしく至る所に寇を為す徴募数
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