宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠
公之自蜀還也詔以諌議大夫牛冕代公公聞之曰冕非撫御才其能綏輯乎踰年果致王均之亂逐冕據益州後雖討平之而民尚未寧上以公前治蜀威惠在人復以公為樞宻直學士遷刑部侍郎知益州蜀民聞之鼓舞相慶如赤子乆失父母而復来鞠我公知民信已易嚴以寛凡令下人情無不慰愜蜀郡復大治上命謝濤撫蜀諭公曰得卿在蜀朕不復有西顧之憂因詔公鑄景徳大錢于嘉卭州一當小鉄錢十銅錢一千今便之
新字:公之自蜀還也詔以諌議大夫牛冕代公公聞之曰冕非撫御才其能綏輯乎踰年果致王均之乱逐冕拠益州後雖討平之而民尚未寧上以公前治蜀威恵在人復以公為枢宻直学士遷刑部侍郎知益州蜀民聞之鼓舞相慶如赤子乆失父母而復来鞠我公知民信已易厳以寛凡令下人情無不慰愜蜀郡復大治上命謝濤撫蜀諭公曰得卿在蜀朕不復有西顧之憂因詔公鋳景徳大銭于嘉卭州一当小鉄銭十銅銭一千今便之
書き下し
公の蜀より還るや、詔して諌議大夫牛冕を以て公に代う。公之を聞きて曰く、冕は撫御の才に非ず。其れ能く綏輯せんやと。年を踰えて果たして王均の亂を致す。冕を逐いて益州に據る。後、之を討平すと雖も、民尚お未だ寧からず。上、公の前に蜀を治めて威惠の人に在るを以て、復た公を以て樞宻直學士と為し、刑部侍郎に遷して益州を知らしむ。蜀民之を聞き、鼓舞相い慶すること、赤子の乆しく父母を失いて復た来りて我を鞠うが如し。公、民の己を信ずるを知り、嚴に易うるに寛を以てす。凡そ令下れば人情慰愜せざる無し。蜀郡復た大いに治まる。上、謝濤に命じて蜀を撫せしめ、公に諭して曰く、卿の蜀に在るを得て、朕、復た西顧の憂い有らずと。因りて公に詔して景徳大錢を嘉・卭州に鑄しむ。一は小鉄錢十・銅錢一千に當たる。今、之を便とす。
現代語訳
公が蜀から帰るとき、詔が下って諫議大夫の牛冕を公の代わりとした。公はそれを聞いて言った。「牛冕は人をなだめ御する才ではない。うまく安んじてまとめられるだろうか」。一年あまりして、はたして王均の乱を招いた。牛冕を追い出して益州を占拠した。後にこれを討ち平らげたが、民はまだ落ち着かなかった。帝は、公が以前に蜀を治めて威と恵みが人々に残っていることを思い、ふたたび公を枢密直学士とし、刑部侍郎に移して益州の長官とした。蜀の民はそれを聞いて、手を打って喜び祝った。まるで赤子が長く父母を失っていて、また戻ってきて養ってもらうかのようであった。公は民が自分を信じていると知り、厳しさを寛やかさに切り替えた。命令が下れば、人の心が慰められ満たされないことがなかった。蜀郡はふたたび大いに治まった。帝は謝濤に命じて蜀を慰撫させ、公に告げて言った。「卿が蜀にいてくれるので、私はもう西を顧みる憂いがない」。そこで公に詔して景徳大銭を嘉州と邛州で鋳造させた。一枚が小鉄銭十枚、銅銭千枚に当たる。いまはそれが便利とされている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻四・王素成都府を知る。是より先、牙校歳ミ酒坊錢を輸して以て厨傳の費に供す。前後日に加えて豐かにして約するを知らず。故に輸す者益ミ困しみを加えて勝う能わず。公一切之を裁約す。鐵錢は惟だ兩川に行われ、歳ミ鑄を加えて止まず。故に錢輕く貨重く、商旅行われず。公爲に鑄を罷むること十年、而して物價以て平らかなり。利州路饑う。公遣わして廩を發きて賑救せしむ。民流徙する無きを得たり。詔適ま下りて公の奏至る。公の政を爲すは人情に便なるに在り。蜀人公の行う所を錄して王公異斷と爲す。
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『宋名臣言行録』前集巻五・薛奎公、開封に在り、嚴を以て治を為し、京師を肅清す。京師の民、相い戒めて曰く、是れ犯す可からざるなりと。蜀に居るに及びては、則ち惠愛を以て稱せらる。蜀人は亂を喜びて摇れ易し。公、鎮するに無事を以てす。又た能く姦を破り伏を發き、一として中たらざる無し。蜀人、之を愛し且つ畏る。以て張詠に比す。而して苛ならず。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠既にして諸軍、馬に食わすの芻粟を請う。公、命じて錢を以て之に給す。繼恩詬りて曰く、馬は錢を食わず。錢を給するは何ぞやと。公召して謂いて曰く、今、賊の餘黨、所在に尚お多し。民、敢えて出でず。招安使、兵を城中に頓めて即ち討たず。芻粟は民の輸する所なり。今、城外は皆な冦なり。何に由りて之を得んと。繼恩懼れ、即ち城を出でて賊を討つ。公、軍食を計るに二歳の備え有り。乃ち奏して陜西の運粮を罷む。上喜びて曰く、向に益州は日々に運粮を以て請と為す。詠至りて方に月を踰え、已に二歳の備え有り。此の人、何事か了する能わざらん。朕、慮り無しと。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公嘗て蜀地素より狹く、游手の者衆きを以てす。事寧きの後、生齒日々に繁し。稍や水旱に遇わば則ち民必ず食に艱まん。時に米、㪷に錢三十六に直る。乃ち諸邑の田税を按じ、其の價の如くし、歳に米六萬斛を折る。春に至りて城中の細民を籍し、口を計りて劵を給し、元の估を輸して之を糴わしむ。奏して永制と為す。今に逮ぶこと七十餘年。時に災饉有りて米甚だ貴しと雖も、益の民に餒色無き者は、公の賜なり。
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『宋名臣言行録』前集巻四・王曙公、益州を知る。賊盗の贓は輕重と無く、一切之を戮す。蜀中股慄す。數月ならずして賊屏竄す。列郡皆な外戸を閉ざさず。是より先、張詠、蜀を守る。季春、廩米を糶る。其の價は時估に比して三の一なり。以て貧民を濟う。凡そ十戸を一保と為す。一家罪を犯さば一保皆な坐して糴するを得ず。民、此を以て敢えて法を犯すこと少なし。是に至り、獻議する者、詠の法を改む。窮民、濟う所無く、復た盗を為す。公、奏して之を復す。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠淳化四年冬、東西兩川旱す。民饑う。吏、救䘏を失す。冦大いに起こる。五年正月、賊首李順、成都府を陷る。詔して王繼恩を招安使に充て、兵を率いて之を討たしむ。復た公に命じて成都府の事を知らしむ。五月、繼恩賊を破りて成都を收む。上、公を留めて秋に至りて始めて遣り行かしむ。時に關中、民に率いて粮を負いて以て川師に餉らしむ。道路絶えず。公府に至り、城中の屯する所の兵を問う。尚お三萬人にして半月の食無し。公、鹽價の素より髙くして廩に餘積有るを訪ね知る。乃ち其の估を下げ、民の米を以て鹽に易うるを得るを聴す。民爭いて之に趨る。未だ月を踰えずして米數十萬斛を得たり。軍中喜びて呼びて曰く、此の翁は真に善く國事を幹くる者なりと。