宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
知襄城縣伯兄久心疾公承事照管如孝子召編校秘閣書籍以兄病辭不赴富公責之曰臺閣清資人豈易得小官出常調亦難事何必苦辭公曰富貴有命
新字:知襄城県伯兄久心疾公承事照管如孝子召編校秘閣書籍以兄病辞不赴富公責之曰台閣清資人豈易得小官出常調亦難事何必苦辞公曰富貴有命
書き下し
襄城縣を知す。伯兄久しく心疾あり。公承事照管すること孝子の如し。編校秘閣書籍に召さる。兄の病を以て辭して赴かず。富公之を責めて曰く、臺閣の清資は人豈に得易からんや。小官の常調を出づるも亦た難事なり。何ぞ必ずしも苦だ辭せんやと。公曰く、富貴には命有りと。
現代語訳
襄城県の知事となった。長兄が長く心の病を患っていた。公は仕え世話をすること、孝子のようであった。編校秘閣書籍に召された。兄の病を理由に辞退して赴かなかった。富弼はこれを責めて言った。「台閣の清らかな職は、人が容易に得られるものではない。小役人が通例の異動から抜け出るのも、また難しいことだ。どうしてそこまで固く辞退するのか」。公は言った。「富貴には命があります」。
解説
断ったのは、名誉ある職でした。責める側の言い分がもっともです。台閣の清らかな職は、人が容易に得られるものではない。小役人が通例の異動から抜け出るのも、また難しいことだ。この機会を逃せば、二度と来ないかもしれない。答えは五文字でした。富貴には命があります。説明も、兄への情に訴えることもしていません。来るものは来る、来ないものは来ない、と。
この章句が説くこと
襄城県を知す伯兄久しく心疾あり公承事照管すること孝子の如し編校秘閣書籍に召さる兄の病を以て辞して赴かず台閣の清資は人豈に得易からんや公曰く富貴には命有り昇進兄
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人生を、一行の式にしてみた。
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