宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
蔣之竒彈公英宗不聽之竒因拜伏地不起上顧左右問何故久不起之竒仰曰此所謂伏蒲矣上明日以語大臣京師傳以為笑
新字:蒋之奇弾公英宗不聴之奇因拝伏地不起上顧左右問何故久不起之奇仰曰此所謂伏蒲矣上明日以語大臣京師伝以為笑
書き下し
蔣之奇公を彈ずるに、英宗聽かず。之奇因りて拜して地に伏して起たず。上左右を顧みて、何の故に久しく起たざるかを問う。之奇仰ぎて曰く、此れ所謂伏蒲なりと。上明日以て大臣に語る。京師傳えて以て笑いと爲す。
現代語訳
蔣之奇が欧陽脩を弾劾したが、英宗は聞き入れなかった。蔣之奇はそこで拝んだまま地に伏して立ち上がらなかった。天子は左右を顧みて、なぜ長いあいだ立たないのかと問うた。蔣之奇は顔を上げて言った。「これがいわゆる伏蒲でございます」。天子は翌日そのことを大臣に語った。都では言い伝えられて笑い話になった。
解説
前漢の史丹が、天子の寝所の蒲の敷物に伏して泣き、諫めを通した故事があります。伏蒲は、そこから来た諫臣の姿の代名詞でした。ここでは、伏している当人が自分でその名を言っています。これがいわゆる伏蒲でございます。やっている最中に、これは有名な諫めの型ですと解説した。姿はそのままでも、中身が抜けます。都では言い伝えられて笑い話になった。五十字で、形だけ真似た諫めがどう見えるかを残しました。
この章句が説くこと
蒋之奇公を弾ずるに英宗聴かず蔣之奇公を弾ずるに英宗聴かず之奇因りて拝して地に伏して起たず之奇仰ぎて曰く此れ所謂伏蒲なり京師伝えて以て笑いと為す形式
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