宋名臣言行録 / 前集巻八・龎籍
元昊既効順而不肯臣請稱東朝皇帝為父國號吾祖年用私號求割三州十六縣地朝議彌年不决既而報書年用甲子國號易其一字敵使過延公坐堂上召敵使立前而謂曰爾主欲戰則戰今不戰而降則朝廷所賜藩臣詔與頒朔封國皆有常制不必論自古夷狄盗中國之地則聞之未聞割地與夷狄也三州十六縣豈可得耶使曰清逺故屬吾且墳墓所在故欲得耳公曰中國所失州縣今未十年若論墳墓所在則中國多矣使語塞
新字:元昊既効順而不肯臣請称東朝皇帝為父国号吾祖年用私号求割三州十六県地朝議弥年不決既而報書年用甲子国号易其一字敵使過延公坐堂上召敵使立前而謂曰爾主欲戦則戦今不戦而降則朝廷所賜藩臣詔与頒朔封国皆有常制不必論自古夷狄盗中国之地則聞之未聞割地与夷狄也三州十六県豈可得耶使曰清遠故属吾且墳墓所在故欲得耳公曰中国所失州県今未十年若論墳墓所在則中国多矣使語塞
書き下し
元昊既に順を効すも、臣と稱するを肯んぜず。東朝の皇帝を父と稱し、國號は吾祖、年は私號を用い、三州十六縣の地を割かんことを求む。朝議彌年、決せず。既にして報書に、年は甲子を用い、國號は其の一字を易う。敵使、延を過ぐ。公、堂上に坐し、敵使を召して前に立たしめて謂いて曰く、爾が主、戰わんと欲せば則ち戰え。今、戰わずして降らば、則ち朝廷の藩臣に賜う所の詔と頒朔・封國とは、皆な常制有り。論ずるを必せず。古より夷狄、中國の地を盗むは則ち之を聞く。未だ地を割きて夷狄に與うるを聞かざるなり。三州十六縣、豈に得可けんやと。使曰く、清逺は故と吾に屬す。且つ墳墓の在る所なり。故に得んと欲するのみと。公曰く、中國の失う所の州縣は、今、未だ十年ならず。若し墳墓の在る所を論ぜば、則ち中國に多しと。使、語塞がる。
現代語訳
趙元昊は帰順の意を示したが、臣と称することは承知しなかった。東の朝廷の皇帝を父と呼び、国号は「吾祖」、年号は自分の号を使い、三州十六県の地を割譲するよう求めた。朝議は一年たっても決まらなかった。ほどなく返書では、年号を干支で書き、国号もその一字を変えた。敵の使者が延州を通った。公は堂の上に坐り、敵の使者を呼んで前に立たせて言った。「おまえの主が戦おうというなら戦え。いま戦わずに降るのであれば、朝廷が藩臣に賜る詔と、暦を頒つことと封国のこととは、みな決まった制度がある。論じるまでもない。昔から異民族が中国の地を盗んだことは聞いている。地を割いて異民族に与えたということは、まだ聞いたことがない。三州十六県が、どうして得られようか」。使者は言った。「清遠はもともと我らに属していた。そのうえ墓のある場所です。だから得たいのです」。公は言った。「中国が失った州県は、いまからまだ十年もたっていない。もし墓のある場所を論じるなら、中国のほうがずっと多い」。使者は言葉に詰まった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇王孫賈問う、『其の奥に媚ぶるよりは寧ろ竈に媚ぶと。何の謂いぞ。』子曰く、『然らず。天に罪を獲ば、祷る所無し。』
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説苑・奉使春秋の辭に相反する者四つ有り。既に曰く、「大夫遂事無し。」擅に事を生ずるを得ず。又た曰く、「境を出でて以て社稷を安んじ、國家を利する者は則ち之を專らにするも可なり。」既に曰く、「大夫君命を以て出づれば、進退大夫に在り」と。又た曰く、「君命を以て出で、喪を聞かば徐行して反らず」とは、何ぞや。曰く、「此の義は各々其の科に止まり、轉移せざるなり。擅に事を生ずるを得ずとは、平生の常經を謂うなり。之を專らにするも可なりとは、危を救い患を除くを謂うなり。進退大夫に在りとは、將帥の兵を用うるを謂うなり。徐行して反らずとは、使いに出でて道に君親の喪を聞くを謂うなり。公子子結擅に事を生ずるも、春秋非とせず、以て莊公の危を救うと爲せばなり。公子遂擅に事を生ずるも、春秋之を譏る、以て僖公危事無しと爲せばなり。故に君危有りて專ら救わざるは、是れ不忠なり。若し危無くして擅に事を生ずるは、是れ臣ならざるなり。傳に曰く、『詩に通詁無く、易に通吉無く、春秋に通義無し。』此れを之れ謂うなり。」
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説苑・立節左儒杜伯に友たり。皆周の宣王に臣たり。宣王将に杜伯を殺さんとするも其の罪に非ず。左儒之を王に争う。九たび之を復すも王許さず。王曰わく、「君に別れて友を異にするは、斯れ汝なり」と。左儒対えて曰わく、「臣之を聞く、君道にして友逆らわば、則ち君に順いて友を誅す。友道にして君逆らわば、則ち友を率いて君に違うと」と。王怒りて曰わく、「而の言を易えば則ち生き、易えずんば則ち死せん」と。左儒対えて曰わく、「臣之を聞く、古の士義を枉げて以て死に従わず、言を易えて以て生を求めずと。故に臣能く君の過を明らかにして、以て杜伯の罪無きに死せん」と。王杜伯を殺す。左儒之に死す。
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孫子・九変篇故に将、九変の利に通ずる者は、用兵を知る。将、九変の利に通ぜざれば、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざれば、地利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。
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孟子・滕文公章句下陳代曰く、「諸侯を見ざるは、宜(ほとんど)ど小なるが若く然り。今、一たび之を見ば、大は則ち以て王たらしめ、小は則ち以て霸たらしめん。且つ志に曰く、『尺を枉げて尋を直くす。』宜ど為す可きが若し。」孟子曰く、「昔、齊の景公田す。虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。『志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず。』孔子奚をか取れる。其の招きに非ざれば往かざるを取れるなり。其の招きを待たずして往くが如きは何ぞや。且つ夫れ尺を枉げて尋を直くすとは、利を以て言うなり。如し利を以てせば、則ち尋を枉げ尺を直くして利あらば、亦た為す可きか。昔者、趙簡子、王良をして嬖奚と乘らしむ。終日にして一禽をも獲ず。嬖奚反命して曰く、『天下の賤工なり。』或ひと以て王良に告ぐ。良曰く、『請う之を復びせん。』彊いて後に可く。一朝にして十禽を獲たり。嬖奚反命して曰く、『天下の良工なり。』簡子曰く、『我、女と乘ることを掌らしめん。』王良に謂う。良可かず。曰く、『吾、之が為に我が馳驅を範すれば、終日一をも獲ず。之が為に詭遇すれば、一朝にして十を獲たり。詩に云う、其の馳することを失わざれば、矢を舍ちて破るが如し、と。我、小人と乘ることを貫わず。請う辭せん。』御者すら且つ射る者と比するを羞づ。比して禽獸を獲ること丘陵の若しと雖も、為さざるなり。道を枉げて彼に從うが如きは何ぞや。且つ子過てり。己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者有らざるなり。」