宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
軾又數上章言時政得失擬進士䇿皆譏刺介甫及詔兩制舉諌官衆論以為當今宜為諌官者無若傅堯俞蘇軾故舉堯俞者六七人而景仁舉軾景温恐軾為諌官攻介甫之短故力排之介甫下淮南江南東西荆湖北夔州成都六路轉運司體量其狀盖軾眉州人其入京也適本州迎新守軾因帶以來耳
新字:軾又数上章言時政得失擬進士策皆譏刺介甫及詔両制舉諌官衆論以為当今宜為諌官者無若傅堯俞蘇軾故舉堯俞者六七人而景仁舉軾景温恐軾為諌官攻介甫之短故力排之介甫下淮南江南東西荆湖北夔州成都六路転運司体量其状盖軾眉州人其入京也適本州迎新守軾因帯以来耳
書き下し
軾又た數ミ上章して時政の得失を言い、進士の策を擬するに皆介甫を譏刺す。詔して兩制に諫官を舉げしむるに及び、衆論以爲えらく、當今宜しく諫官と爲るべき者は傅堯俞・蘇軾に若くは無しと。故に堯俞を舉ぐる者六七人。而して景仁軾を舉ぐ。景温、軾の諫官と爲りて介甫の短を攻めんことを恐る。故に力めて之を排す。介甫、淮南・江南東西・荊湖北・夔州・成都の六路の轉運司に下して其の狀を體量せしむ。蓋し軾は眉州の人なり。其の京に入るや適ま本州新守を迎う。軾因りて帶びて以て來たるのみ。
現代語訳
蘇軾はまたしばしば上章して当時の政の得失を述べ、進士の策を作るのにみな王安石を諷刺した。詔して両制に諫官を推挙させるに及んで、世の議論は、いま諫官となるべき者は傅堯兪と蘇軾に及ぶ者はないとした。だから傅堯兪を挙げた者は六七人。そして范鎮が蘇軾を挙げた。謝景温は、蘇軾が諫官となって王安石の欠点を攻めることを恐れた。だから力を尽くしてこれを排除した。王安石は淮南・江南東西・荊湖北・夔州・成都の六路の転運司に下して、その事実を調べさせた。そもそも蘇軾は眉州の人である。都に入るとき、ちょうど本州が新任の長官を迎えるところであった。蘇軾はそのついでに荷を載せて来たにすぎなかった。
解説
弾劾から調査までの流れが、そのまま書かれています。動機は最初に明かされました。**謝景温は、蘇軾が諫官となって王安石の欠点を攻めることを恐れた。**そして調べは大がかりです。**淮南・江南東西・荊湖北・夔州・成都の六路の転運司に下して、その事実を調べさせた。**六つの路を動かして出てきたのが、これでした。**都に入るとき、ちょうど本州が新任の長官を迎えるところであった。そのついでに荷を載せて来たにすぎなかった。**
この章句が説くこと
軾又た数ミ上章して時政の得失を言い進士の策を擬するに皆介甫を譏刺す当今宜しく諫官と為るべき者は傅堯俞蘇軾に若くは無し景温軾の諫官と為りて介甫の短を攻めんことを恐る故に力めて之を排す其の京に入るや適ま本州新守を迎う軾因りて帯びて以て来たるのみ弾劾調査
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