宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
召試學士院詩用采霓字學士以沈約郊居賦雌霓連婘讀霓為入聲謂景仁為失韻由是除館閣校勘殊不知約賦但取聲律便美非霓不可讀為平聲也當時有學者皆為憤鬱而公處之晏然不辨
新字:召試学士院詩用采霓字学士以沈約郊居賦雌霓連婘読霓為入声謂景仁為失韻由是除館閣校勘殊不知約賦但取声律便美非霓不可読為平声也当時有学者皆為憤鬱而公処之晏然不弁
書き下し
學士院に召試せらる。詩に采霓の字を用う。學士、沈約の郊居賦の雌霓連婘を以て、霓を讀みて入聲と爲し、景仁を失韻と爲す。是に由りて館閣校勘を除せらる。殊に知らず、約の賦は但だ聲律の便美を取るのみにして、霓の平聲に讀む可からざるに非ざるを。當時の學ある者は皆憤鬱を爲す。而して公之に處すること晏然として辨ぜず。
現代語訳
学士院で試験を受けた。詩に「采霓」の字を用いた。学士は、沈約の『郊居賦』にある「雌霓連婘」を根拠に、霓を入声で読むとして、范鎮を押韻の誤りとした。これによって館閣校勘に任じられた。まったく分かっていなかった。沈約の賦は、ただ音律の響きのよさを取っただけであり、霓を平声で読めないわけではない。当時、学のある者はみな憤り鬱屈した。しかし范鎮はこれに処するのに落ち着き払って、弁解しなかった。
解説
首席で通るはずの試験が、一字の読み方で格下げになりました。しかも判定のほうが誤っています。**沈約の賦は、ただ音律の響きのよさを取っただけであり、霓を平声で読めないわけではない。**周りが憤ったのは、その誤りが分かる人が多かったからです。**当時、学のある者はみな憤り鬱屈した。**当人だけが動きません。**范鎮はこれに処するのに落ち着き払って、弁解しなかった。**前の条で七十九番目まで待った人が、こちらでは誤審にも黙っています。
この章句が説くこと
詩に采霓の字を用う霓を読みて入声と為し景仁を失韻と為す是に由りて館閣校勘を除せらる当時の学ある者は皆憤鬱を為す而して公之に処すること晏然として弁ぜず誤審格下げ
関連する章句
-
論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・王旦公の母弟、傲にして訓う可からず。一日、冬至に遇う。家廟を祠り、百壺を堂前に列ぬ。弟皆な之を擊ち破る。家人惶駭す。公忽ち外より入り、酒の流れて地に滿ち行く可からざるを見る。俱に一言も無く、但だ衣を攝りて步み入る。其の後、弟忽ち感悟して復た善を為す。終に亦た言わず。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・李沆沆相位に在り、賔客に接するに常に言寡なし。馬亮、沆と同年の生なり。又た其の弟維と善し。維に語りて曰く、外議大兄を以て無口匏と為すと。維、間に乘じて亮の語を達す。沆曰く、吾れ知らざるに非ざるなり。然れども今の朝士、殿に升りて事を言い、封を上りて論奏するを得。了に壅蔽無く、多く有司に下る。皆な之を見るなり。邦國の大事の若きは、北に強虜有り、西に戎遷有り。日旰に條議して以て備禦する所の䇿、詳究せざるに非ず。薦紳の中、李宗諤・趙安仁の如きは皆な時の英秀なり。之と談ずるも猶お吾が意を啟發する能わず。自餘の通籍の子、坐起拜揖すら尚お周章して措を失う。席に即けば必ず自ら功最を論じて以て寵奬を希う。此れ何の䇿有りて之と接語せんや。茍くも意を曲げて妄言せば、即ち世に所謂る籠罩なり。籠罩の事、僕病みて未だ能わず。我が為に馬君に謝せよと。沆嘗て言う、重位に居るも實に萬分に補う無し。唯だ中外の陳ぶる所の利害、一切之を報罷す。此れ少しく以て國に報ゆるのみと。朝廷の防制は纎悉備具す。或いは陳請する所に狥いて一事を施行せば、即ち傷る所多し。陸象先曰く、庸人之を擾すと。正に此の謂いなり。憸人は一時の進を茍くす。豈に民を念わんや。
-
呂氏春秋・重言①人主の言は、慎まざる可からず。高宗は天子なり。位に即くや諒闇して、三年言わず。卿大夫恐懼して、之を患う。高宗乃ち言いて曰く、「余一人を以て四方を正す。余唯だ言の類からざるを恐るるなり。茲の故に言わず。」古の天子は、其の言を重んずること此くの若し。故に言に遺う者無し。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。