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宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼

公既薨公子紹廷字德先能守家法與公兩壻及諸甥皆同居公之第家之事一如公無恙時毫髪不敢變鄉里稱之建中靖國初擢為河北西路提舉常平德先辭曰熈寧變法之初先臣以不行青苗法得罪臣不敢為此官上益嘉之除祠部貟外郎崇寧中卒

新字:公既薨公子紹廷字徳先能守家法与公両壻及諸甥皆同居公之第家之事一如公無恙時毫髪不敢変鄉里称之建中靖国初擢為河北西路提舉常平徳先辞曰熈寧変法之初先臣以不行青苗法得罪臣不敢為此官上益嘉之除祠部貟外郎崇寧中卒

書き下し

公既に薨ず。公の子紹廷、字は德先、能く家法を守る。公の兩壻及び諸甥と皆同居して公の第に在り。家の事は一に公の恙無き時の如く、毫髪も敢えて變ぜず。鄉里之を稱す。建中靖國の初め、擢んでて河北西路提舉常平と爲す。德先辭して曰く、熙寧變法の初め、先臣は青苗法を行わざるを以て罪を得たり。臣敢えて此の官を爲さずと。上益ミ之を嘉す。祠部員外郎を除せらる。崇寧中に卒す。

現代語訳

富弼が薨じた。その子の紹廷、字は徳先は、よく家の法を守った。富弼の二人の婿および甥たちとみな同居して富弼の邸にあり、家の事はすべて富弼が健在であったときのとおりで、髪の毛一筋ほども変えなかった。郷里の人はこれを称えた。建中靖国のはじめ、抜擢されて河北西路提挙常平とされた。徳先は辞退して言った。「熙寧の変法のはじめ、亡き父は青苗法を行わなかったことで罪を得ました。臣はこの官に就くことはできません」。天子はますますこれを嘉した。祠部員外郎に任じられた。崇寧年間に亡くなった。

解説

抜擢された役職が、提挙常平でした。青苗法を執行する側の官です。父が拒んで罪を得た、まさにその法の担当でした。**亡き父は青苗法を行わなかったことで罪を得ました。臣はこの官に就くことはできません。**父の名誉を守るためではなく、自分がその席に座れないという言い方をしています。しかも咎められませんでした。**天子はますますこれを嘉した。**家の中も同じ形で残っています。**家の事はすべて富弼が健在であったときのとおりで、髪の毛一筋ほども変えなかった。**

この章句が説くこと

公の子紹廷字は徳先能く家法を守る家の事は一に公の恙無き時の如く毫髪も敢えて変ぜず熙寧変法の初め先臣は青苗法を行わざるを以て罪を得たり臣敢えて此の官を為さず家法継承

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