宋名臣言行録 / 後集巻十一・王存
公在政府時四方奏讞大辟刑部援比請貸而都省屢以無可矜恕却之公言此祖宗制也且有司援比欲生之朝廷破例欲殺之可乎
書き下し
公政府に在りし時、四方大辟を奏讞し、刑部比を援きて貸さんことを請う。而して都省屢ミ矜恕す可き無きを以て之を却く。公言う、此れ祖宗の制なり。且つ有司は比を援きて之を生かさんと欲し、朝廷は例を破りて之を殺さんと欲するは、可ならんや、と。
現代語訳
王存が政府にあったとき、各地から死罪の判決が上申されてきて、刑部は先例を引いて減刑を願い出た。ところが都省は、憐れむべき事情がないという理由でたびたびこれを退けた。王存は言った。「この上申して減刑を請う道は、祖宗の定めた制度である。そのうえ、担当の役所は先例を引いてその者を生かそうとし、朝廷は先例を破ってその者を殺そうとする。それでよいのか」。
解説
死罪の上申を、上が次々に突き返していた場面です。王存はまず、その道自体が制度なのだと言いました。**この上申して減刑を請う道は、祖宗の定めた制度である。**そのうえで、二つの動きを並べて見せます。**担当の役所は先例を引いてその者を生かそうとし、朝廷は先例を破ってその者を殺そうとする。**同じ「例」を、下は生かすために引き、上は破って殺すために使っている。向きが逆さまだ、と指しただけです。例外は重いほうにではなく軽いほうに働くもの、という理屈がここにあります。
この章句が説くこと
四方大辟を奏讞し刑部比を援きて貸さんことを請う都省屢ミ矜恕す可き無きを以て之を却く此れ祖宗の制なり有司は比を援きて之を生かさんと欲し朝廷は例を破りて之を殺さんと欲するは可ならんや死刑先例
関連する章句
-
尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
-
論語・先進篇顔淵死す。顔路、子の車を請いて以て之が槨を為らんとす。子曰く、「才も不才も、亦た各々其の子と言うなり。鯉や死せるとき、棺有りて槨無し。吾徒行して以て之が槨を為らず。吾大夫の後に従うを以て、徒行す可からざるなり。」
-
説苑・建本子路、孔子に問いて曰わく、「請う古の学を釈きて由の意を行わん、可なるか」と。孔子曰わく、「不可なり。昔者東夷諸夏の義を慕い、女有り、其の夫死するや、之が為に内に私かに婿し、身を終うるまで嫁がず、嫁がざれば則ち嫁がざるなり、然れども貞節の義に非ざるなり。蒼梧の弟、妻を娶りて美好なれば、兄と易えんことを請う、忠なれば則ち忠なり、然れども礼に非ざるなり。今子古の学を釈きて子の意を行わんと欲す、庸ぞ子の非を用いて是と為し、是を用いて非と為すを知らんや。其の初めに順わずんば、悔いんと欲すと雖も、難きかな」と。
-
孫子・九地篇法に無きの賞を施し、政に無きの令を懸く。三軍の衆を犯すこと、一人を使うが若し。之を犯すに事を以てし、告ぐるに言を以てすること勿かれ。之を犯すに利を以てし、告ぐるに害を以てすること勿かれ。
-
孫子・九変篇故に将、九変の利に通ずる者は、用兵を知る。将、九変の利に通ぜざれば、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざれば、地利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。
-
『塩鉄論』結和篇文學曰く、秦は南のかた勁き越を禽にし、北のかた強き胡を卻け、中國を竭くして以て四夷を役す。人罷れ極まりて主は恤まず、國內潰えて上は知らず。是を以て一夫倡えて天下和し、兵は陳涉に破られ、地は諸侯に奪わる。何ぞ嗣の利する所あらんや。《詩》に云う、「雍雍として鳴く鳱、旭日始めて旦らかなり」と。徒に前利を得て、後の咎を念わず。故に吳王は齊を伐つの便を知りて、干遂の患いを知らず。秦は進取の利を知りて、鴻門の難を知らず。是れ一を知りて十を知らざるなり。周は小を謹みて大を得、秦は大を欲して小を亡う。語に曰く、「前車覆れば、後車の戒め」と。「殷鑒遠からず、夏后の世に在り」と。