宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公所厯大藩皆有遺愛戎狄尤畏公名凡使契丹及來使者必問韓侍中安否今何在其子忠彦使幕外虜主問左右孰屢使南朝識韓侍中觀忠彦貎類父否或對曰頗類命畫工圗之而去館伴王興功遽以告忠彦北門為聘使道舊與京尹書皆押字不名及公留守則名於書其副使成禹錫仍喻來介曰以侍中在此故特名毎南來渉臨清界即戒其下曰此韓侍中境無多需索也
新字:公所厯大藩皆有遺愛戎狄尤畏公名凡使契丹及来使者必問韓侍中安否今何在其子忠彦使幕外虜主問左右孰屢使南朝識韓侍中観忠彦貎類父否或対曰頗類命画工図之而去館伴王興功遽以告忠彦北門為聘使道旧与京尹書皆押字不名及公留守則名於書其副使成禹錫仍喻来介曰以侍中在此故特名毎南来渉臨清界即戒其下曰此韓侍中境無多需索也
書き下し
公の歷る所の大藩、皆遺愛有り。戎狄尤も公の名を畏る。凡そ契丹に使いする及び來たる使者、必ず問う、韓侍中安否、今何くに在りやと。其の子忠彦、幕外に使いす。虜主左右に問う、孰れか屢ミ南朝に使いして韓侍中を識る。忠彦の貌父に類するや否やを觀よと。或るひと對えて曰く、頗る類すと。畫工に命じて之を圖せしめて去る。館伴の王興功、遽かに以て忠彦に告ぐ。北門は聘使の道爲り。舊と京尹に與うる書は皆押字して名のらず。公の留守たるに及びては則ち書に名のる。其の副使成禹錫、仍りて來介に喻して曰く、侍中の此に在るを以ての故に特に名のると。南來して臨清の界に渉る毎に、即ち其の下を戒めて曰く、此れ韓侍中の境なり。多く需索する無かれと。
現代語訳
韓琦が歴任した大藩には、みな後々まで慕われるものが残った。異民族はことに韓琦の名を畏れた。およそ契丹に使いする者や、契丹から来る使者は、必ず「韓侍中はご無事か、いまどこにおられるか」と尋ねた。その子の韓忠彦が幕外に使いしたとき、契丹の君主は側近に尋ねた。「誰がたびたび南朝に使いして韓侍中を知っているか。忠彦の顔が父に似ているかどうか見よ」。ある者が「かなり似ております」と答えた。画工に命じてその姿を描かせて去った。接待役の王興功は、すぐこれを忠彦に告げた。北門は使節の通り道である。もとは京尹に宛てる書には、みな花押を書いて名を記さなかった。韓琦が留守になってからは、書に名を記した。その副使の成禹錫は、そのうえで案内役に告げて言った。「侍中がここにおられるがゆえに、特に名を記すのである」。南に来て臨清の境に入るたび、部下を戒めて言った。「ここは韓侍中の領内である。あれこれ多く求めてはならぬ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
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説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
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孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
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戦国策・齊攻宋宋使臧子索救於荊斉、宋を攻む。宋、臧子をして救いを荊に索めしむ。荊王大いに説び、救うことを許すこと甚だ勧む。臧子憂えて反る。其の御曰く、「救いを索めて得たり、憂色有るは何ぞや」と。臧子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救いて大斉に悪まるるは、此れ王の憂うる所なり。而るに荊王説ぶこと甚だし。必ず以て我を堅くせん。我堅くして斉弊るれば、荊の利なり」と。臧子乃ち帰る。斉王果たして攻め、宋の五城を抜くも、荊王至らず。
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孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」
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論語・憲問篇子曰く、命を為るに、裨諶之を草創し、世叔之を討論し、行人子羽之を脩飾し、東里の子産之を潤色す。