宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
拜御史中丞入對上語及西陲事公退而奏曰惟當修嚴武備來則應之以逸待勞若臨遣大臣張皇武事或議深入或求竒功皆非國家至計後公去位朝廷遣大臣臨邉已而西征無功士卒内潰皆如公所料
新字:拝御史中丞入対上語及西陲事公退而奏曰惟当修厳武備来則応之以逸待労若臨遣大臣張皇武事或議深入或求奇功皆非国家至計後公去位朝廷遣大臣臨邉已而西征無功士卒内潰皆如公所料
書き下し
御史中丞に拜せられ入對す。上の語西陲の事に及ぶ。公退きて奏して曰く、惟だ當に武備を修め嚴にし、來たらば則ち之に應じ、逸を以て勞を待つべし。若し大臣を臨遣して武事を張皇し、或いは深入を議し、或いは奇功を求むるは皆國家の至計に非ずと。後公位を去り、朝廷大臣を遣わして邊に臨ましむ。已にして西征功無く、士卒内に潰ゆ。皆公の料る所の如し。
現代語訳
御史中丞に任じられて拝謁した。天子の話が西の国境の事に及んだ。公は退がって奏上して言った。「ただ武備を整えて厳しくし、来れば応じ、こちらの余裕をもって相手の疲れを待つべきです。もし大臣を差し向けて軍事を大げさに構え、あるいは深く攻め入ることを議したり、あるいは思いがけない功を求めたりするのは、みな国家の最上の計ではありません」。後に公が職を去り、朝廷は大臣を遣わして国境に臨ませた。やがて西征は功なく、兵は内側から崩れた。すべて公の見込んだとおりであった。
解説
積極策を退けた理由が、消極ではありません。**こちらの余裕をもって相手の疲れを待つべきです。**待つことも一つの手であって、備えを緩めるという話ではない。退けたものが具体的に三つ挙がっています。**大臣を差し向けて軍事を大げさに構え、深く攻め入ることを議し、思いがけない功を求める。**どれも、こちらから動く形です。結末が短く書かれています。**西征は功なく、兵は内側から崩れた。**負けたのではなく、内から崩れました。
この章句が説くこと
惟だ当に武備を修め厳にし来たらば則ち之に応じ逸を以て労を待つべし若し大臣を臨遣して武事を張皇す或いは深入を議し或いは奇功を求むるは皆国家の至計に非ず已にして西征功無く士卒内に潰ゆ防備待機
関連する章句
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孫子・行軍篇丘陵堤防には、必ず其の陽に処りて、之を右背にす。此れ兵の利、地の助けなり。上に雨ふり、水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て。
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孫子・形篇孫子曰く、昔の善く戦う者は、まず不可勝を為して、以て敵の可勝を待つ。
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李衛公問対・卷中誘うを以て来るを待ち、静を以て躁を待ち、重きを以て軽きを待ち、厳を以て懈を待ち、治を以て乱を待ち、守を以て攻を待つ。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠西川都巡檢使韓景祐、部する所の廣武の卒劉旰の逐う所と為る。懐安軍を掠め、漢州を破る。公方に僚屬を㑹す。報至る。飲燕すること故の如し。賊又た卭・蜀を掠め、將に益に趨らんとす。報ずる者愈々急なり。公復た問わず。其の夕、上官正を召して謂いて曰く、賊、發するを始めて三四日ならずして數郡を破る。勢い方に鋭し。擊つ可からず。氣驕りて敢えて吾が城に逼らば、乃ち死を送るのみ。請う、兵を出だして北のかた方井に至れ。當に賊に遇いて之を破るべきこと必せりと。正即ち教えを受けて行く。方井に至りて果たして賊に遇う。一戰して旰の首を斬る。餘黨盡く平らぐ。衆も亦た公の敵を料り勝を制すること、人の及ばざる所なるに服す。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著公定州に至る。謝表に曰く、進んでは敢えて功を希いて事を生ぜず、退いては敢えて備えを弛めて官を曠しくせずと。人人傳誦して以て實を摭うと爲す。是の時朝廷方に武事を經し邊備を増修す。時に趨る者は爭いて北伐の策を獻ず。公定武に至りて即ち上の爲に言う、中國と契丹とは通好久しく邊境晏然として事無し。塞上の屯軍は素より節制有り。惟だ宜しく静を以て之を鎮むべしと。保甲法新たに行われ、邊を被るは皆教場を設け、日に金鼓を鳴らし人に戰法を誦せしむ。聲虜に達す。虜邊郡に檄して以て事を生じ誓約に違うと爲す。上公に委ねて其の事を處せしむ。公即ち上奏して以爲えらく、邊人をして戰法を境上に習わしむるは管子の令を寓するの意に非ざるなりと。一切罷去せんことを請う。聽かれず。