宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
元祐元年正月公始得疾詔公與尚書左丞吕公著朝㑹與執政異班再拜而已免舞蹈公疾益甚歎曰四患未除吾死不瞑目矣乃上疏論免役五害乞直降勅罷之率用熈寧以前法有未便州縣監司節級以聞為一路一州一縣法詔即日行之又論西戎大畧以和戎為便用兵為失時異議甚衆獨文彦博議與公合衆不能奪遂詔諸將皆□州縣軍政委守令通决之
新字:元祐元年正月公始得疾詔公与尚書左丞呂公著朝会与執政異班再拝而已免舞蹈公疾益甚嘆曰四患未除吾死不瞑目矣乃上疏論免役五害乞直降勅罷之率用熈寧以前法有未便州県監司節級以聞為一路一州一県法詔即日行之又論西戎大畧以和戎為便用兵為失時異議甚衆独文彦博議与公合衆不能奪遂詔諸将皆□州県軍政委守令通決之
書き下し
元祐元年正月、公始めて疾を得たり。詔して公と尚書左丞呂公著とをして朝會に執政と班を異にし、再拜するのみにして舞蹈を免ぜしむ。公の疾益ミ甚だし。歎じて曰く、四患未だ除かれず。吾死すとも目を瞑らずと。乃ち上疏して免役の五害を論じ、直ちに勅を降して之を罷め、率ね熙寧以前の法を用いんことを乞う。未だ便ならざる有らば、州縣・監司・節級以て聞し、一路一州一縣の法と爲す。詔して即日之を行う。又た西戎の大略を論じ、戎に和するを以て便と爲し、兵を用うるを失と爲す。時に異議甚だ衆し。獨り文彦博の議のみ公と合う。衆奪う能わず。遂に詔して諸將は皆□州縣、軍政は守令に委ねて通じて之を決せしむ。
現代語訳
元祐元年正月、司馬光ははじめて病を得た。詔して司馬光と尚書左丞の呂公著には、朝会で執政とは別の列に並ばせ、二度拝礼するだけで舞踏の礼を免じた。司馬光の病はいよいよ重くなった。嘆いて言った。「四つの患いがまだ除かれていない。私は死んでも目を閉じられない」。そこで上疏して免役の五つの害を論じ、ただちに勅を下してこれを廃し、おおむね熙寧以前の法を用いることを願った。都合の悪いところがあれば、州県・監司・節級から上申させ、一路一州一県ごとの法とする。詔してその日のうちに実行された。また西戎についての大筋を論じ、和を結ぶのを得策とし、兵を用いるのを失策とした。当時、異論はきわめて多かった。ただ文彦博の議だけが司馬光と合った。人々もその議を覆せなかった。そこで詔して、諸将はみな州県に〔一字を欠く〕し、軍政は守令に委ねて併せて決めさせることとした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光熙寧七年、上天下の旱蝗を以て詔して直言を求む。公詔を讀みて泣を下し、默せんと欲するも忍びず。乃ち復た六事を陳ぶ。一に青苗、二に免役、三に市易、四に邊事、五に保甲、六に水利。此れ尤も民を病ましむる者なり。宜しく先ず罷むべしと。又た書を以て宰相吳充を責めて曰く、天子の仁聖此くの如くして公の言わざるは何ぞやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著温公病中に公に簡して曰く、晦叔は結髮より學に志し、仕えて之を行い、端方忠厚にして天下仰服す。老いに垂んとして乃ち政を秉るを得たり。平生蘊む所、今日に施さずんば將に何をか俟たんや。比日以來、物論頗る晦叔の慎默太だ過ぐるを譏る。若し此の際に復た廷爭せずして事蹉跌せば、則ち彼の朋に入らん。光病みてより以來、悉く身を醫に付し家事を康に付す。惟だ國事のみ未だ屬する所有らず。今日晦叔に屬せりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光是に於いて四方の吏民の新法の不便を言う者數千人。公方に當に行うべき所の者を草具す。而して太后已に㫖有り、京城の邏卒を散遣し、皇城内の覘者を罷減し、御前の工作を止め、近侍の無狀なる者三千餘人を出し、中外を戒飭して敢えて苛刻暴斂する無からしめ、導洛司・物貨場及び民間の戸馬を廢し、保馬の限を寛にす。皆中より出でて大臣與らず。公上疏して謝す、當今の急務、陛下已に略ミ之を行えり。小臣の稽慢、罪當に萬死すべしと。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾温公免役を改めて差役と爲さんことを議す。差役は祖宗の世に行わる。法久しくして弊多し。編戸の役に充てらるるは官府に習わず。又た虐しく之を使い、多く産を破るを以てす。而して狹鄉の民は或いは休息を得ざる者有り。先帝其の然るを知る。故に免役を爲し、民をして戸の髙下を以て錢を出さしめて役を執るの苦しみ無からしむ。法を行う者上の意に循わず、雇役の實費の外に錢を取ること過多。民遂に以て病めり。若し出を量りて入と爲し、民より多く取る毋くんば則ち足れり。
-
『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著公始め司馬光と輔政す。是に於いて共に先帝の意を推本す。蓋し四夷を鞭笞して以て中國を疆くし、邦財を阜蕃して以て其の費を佐けんと欲す。有司の奉行其の本㫖を失う。先帝固より嘗て之を患えたり。故に更めんと欲して未だ暇あらざると、已に更めて未だ定まらざるとあり。其の詔墨記言具に在りて考う可き者に若干事有り。
-
『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著初め温公議す、凡そ役人は皆人を雇いて以て代わるを許さずと。然れども東南及び西蜀の諸路の民に髙貲有り、或いは子弟儒を業とす。皆當に弓手と爲りて賤役を執るべし。既に募代を許さず、甚だ之に苦しむ。公其の弊を聞き、即ち令して一切雇募を聽す。民情大いに悦ぶ。