宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
温公康節日就卧内問疾獻可所言皆天下國家之事憂憤不能忘未嘗一語及其私也一日手書托温公以墓誌温公亟省之已瞑目矣温公呼之曰更有以見屬乎獻可復張目曰天下事尚可為君實勉之
新字:温公康節日就卧内問疾献可所言皆天下国家之事憂憤不能忘未嘗一語及其私也一日手書托温公以墓誌温公亟省之已瞑目矣温公呼之曰更有以見属乎献可復張目曰天下事尚可為君実勉之
書き下し
溫公・康節、日ミ臥内に就きて疾を問う。獻可の言う所は皆天下國家の事なり。憂憤して忘るる能わず。未だ嘗て一語も其の私に及ばず。一日、手書して溫公に託するに墓誌を以てす。溫公亟かに之を省みるに、已に瞑目せり。溫公之を呼びて曰く、更に以て屬する有るかと。獻可復た目を張りて曰く、天下の事は尚お爲す可し。君實之を勉めよと。
現代語訳
司馬光と邵雍は、毎日寝所に赴いて病を見舞った。呂誨の言うところは、みな天下国家の事であった。憂え憤って忘れることができなかった。一言も自分の私事に及んだことがない。ある日、自筆の手紙で司馬光に墓誌を託した。司馬光が急いで見舞うと、もう目を閉じていた。司馬光は呼びかけて言った。「まだ言い残すことはあるか」。呂誨はふたたび目を見開いて言った。「天下の事は、まだやれる。君実、努めてくれ」。
解説
見舞いに来た人に、私事を一言も話さなかった、と書いてあります。**一言も自分の私事に及んだことがない。**家のことも病のことも出さない。そして最後の場面です。もう目を閉じていた人が、呼びかけに応えてもう一度開きました。**呂誨はふたたび目を見開いて言った。天下の事は、まだやれる。君実、努めてくれ。**自分が弾劾に敗れて去った人の、最後の言葉が「まだやれる」でした。託した相手は、その弾劾を止めようとした人です。
この章句が説くこと
献可の言う所は皆天下国家の事なり未だ嘗て一語も其の私に及ばず温公之を呼びて曰く更に以て属する有るか献可復た目を張りて曰く天下の事は尚お為す可し君実之を勉めよ遺言託す
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨獻可死を忍びて溫公に謂うに、天下の事尚お爲す可し、當に自ら愛すべしと以てす。後に溫公天下に相となり、再び元祐の盛を致す。獻可は見るに及ばず。天下其の言を誦して之を悲しむ。溫公の薨ずるに至り、獻可の子由庚輓詩を作りて云う、地下にもし中執法に逢わば、爲に言え、今日再び昇平なりと。其の先人の言を記するなり。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著温公病中に公に簡して曰く、晦叔は結髮より學に志し、仕えて之を行い、端方忠厚にして天下仰服す。老いに垂んとして乃ち政を秉るを得たり。平生蘊む所、今日に施さずんば將に何をか俟たんや。比日以來、物論頗る晦叔の慎默太だ過ぐるを譏る。若し此の際に復た廷爭せずして事蹉跌せば、則ち彼の朋に入らん。光病みてより以來、悉く身を醫に付し家事を康に付す。惟だ國事のみ未だ屬する所有らず。今日晦叔に屬せりと。
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨溫公其の墓を誌すも未だ成らず。河南監牧使劉航仲通、自ら石に書せんことを請う。既に其の文を見て、遲廻して敢えて書せず。其の子安世曰く、吾が父の美を成すは可ならんかと。代わりて之を書す。仲通又た陰かに獻可の諸子に囑して、本を摹する勿かれと。恐らくは三家の福に非ずと。時に小人蔡天申、厚く鐫工に賂して本を得、以て安石に獻ず。安石之を得て壁間に掛け、其の門下の士に謂いて曰く、君實の文は西漢の文なりと。