宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
覺語余時正月初五六間也後數日果聞臺官論濮王事甚急至上元後誨等疏已七八上不聴遂皆納勑告求罷去家居不復供職
新字:覚語余時正月初五六間也後数日果聞台官論濮王事甚急至上元後誨等疏已七八上不聴遂皆納勑告求罷去家居不復供職
書き下し
覺の余に語るは、時に正月初五六の間なり。後數日、果たして臺官の濮王の事を論ずること甚だ急なるを聞く。上元の後に至り、誨等の疏已に七八たび上るも聽かれず。遂に皆勅告を納れて罷め去らんことを求め、家居して復た職に供せず。
現代語訳
孫覚が私に語ったのは、正月の五日六日ごろのことである。数日後、はたして御史台の官が濮王の件を論じることがたいそう急であるのを聞いた。上元の後になって、呂誨らの上疏はすでに七、八度に及んだが聴かれなかった。ついに全員が辞令を返上して免職を願い出、家に籠もって職に就かなくなった。
解説
予告どおりに事が運んでいく段です。話を聞いた日付まで書いてあります。孫覚が私に語ったのは、正月の五日六日ごろのことである。そして数日後に始まり、上元の後には七、八通に達しました。行動が揃っているところが要です。ついに全員が辞令を返上して免職を願い出、家に籠もって職に就かなくなった。一人ずつ辞めれば、順に処理されて終わります。同時にやったので、御史台と諫院が空になりました。
この章句が説くこと
覚の余に語るは時に正月初五六の間なり果たして台官の濮王の事を論ずること甚だ急なるを聞く誨等の疏已に七八たび上るも聴かれず遂に皆勅告を納れて罷め去らんことを求め家居して復た職に供せず抗議団結
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