宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公駐延安忽有人夜攜匕首至卧内遽褰幃帳公起坐問曰誰何曰某來殺諌議又問曰誰遣汝來曰張相公遣某來盖是時張元夏國正用事也公復就枕曰汝攜予首去其人曰某不忍願得金帶足矣遂取帶而出明日亦不治此事俄有守陴卒報城櫓上得金帶者納之時范純祐亦在延安謂公曰不治此事為得體盖行之則沮國威今乃受其帶是堕賊計中矣公嘆曰非琦所及
新字:公駐延安忽有人夜攜匕首至卧内遽褰幃帳公起坐問曰誰何曰某来殺諌議又問曰誰遣汝来曰張相公遣某来盖是時張元夏国正用事也公復就枕曰汝攜予首去其人曰某不忍願得金帯足矣遂取帯而出明日亦不治此事俄有守陴卒報城櫓上得金帯者納之時范純祐亦在延安謂公曰不治此事為得体盖行之則沮国威今乃受其帯是堕賊計中矣公嘆曰非琦所及
書き下し
公延安に駐す。忽ち人有り、夜、匕首を攜えて卧内に至り、遽かに幃帳を褰ぐ。公起き坐して問いて曰く、誰何ぞと。曰く、某は諫議を殺しに來たれりと。又た問いて曰く、誰か汝を遣わして來たらしむと。曰く、張相公、某を遣わして來たらしむと。蓋し是の時、張元、夏國に正に事を用うるなり。公復た枕に就きて曰く、汝、予が首を攜えて去れと。其の人曰く、某忍びず。願わくは金帶を得ば足れりと。遂に帶を取りて出づ。明日も亦た此の事を治めず。俄かに陴を守る卒有り、城櫓の上に金帶を得たる者を報じ、之を納る。時に范純祐も亦た延安に在り。公に謂いて曰く、此の事を治めざるは體を得たりと爲す。蓋し之を行わば則ち國威を沮む。今乃ち其の帶を受くるは、是れ賊の計中に堕つるなりと。公嘆じて曰く、琦の及ぶ所に非ずと。
現代語訳
韓琦が延安に駐屯していた。突然、夜に匕首を携えて寝所まで入って来た者があり、いきなり帳を掲げた。韓琦は起き上がって座り、尋ねた。「誰だ」。「私は諫議どのを殺しに来た」。また尋ねた。「誰がお前を遣わした」。「張相公が私を遣わした」。この当時、張元が夏の国でまさに実権を握っていたのである。韓琦はまた枕に就いて言った。「私の首を持って行け」。その者は言った。「私はしのびない。願わくは金の帯をいただければ十分です」。そのまま帯を取って出て行った。翌日も、韓琦はこの一件を取り調べなかった。ほどなく城壁を守る兵が、櫓の上で金の帯を拾った者があると報告し、それを納めた。当時、范純祐も延安にいた。韓琦に言った。「この一件を取り調べなかったのは、道理にかなっています。取り調べれば国の威信を損ないますから。しかしいま、その帯を受け取ったのは、敵の計略にはまることです」。韓琦は嘆じて言った。「私の及ぶところではない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め夏人方に和を議す。公以謂えらく邉備弛む可からずと。范公と俱に出でて按行せんことを請う。遂に公に陜西を宣撫し、范公に河東を宣撫するを命ず。范、兵を益して河陽・蒲中に屯し、及び兵を以て從わんことを請う。公以爲えらく必ずしも兵を請わずと。上前に議して未だ合わず。退きて殿廬の中に於いて猶お爭う。公曰く、若し爾らば則ち臣自ら行かんことを乞う。朝廷の一人一騎をも用いじと。范色忿り、再び對を請いて公の語を道わんと欲す。公笑いて之を止む。會ミ富公、公の説を賛す。卒に兵を發せず。范も亦た以て忤と爲さず。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦元昊初めて叛き、兵鋒銳きこと甚だし。中國久しく戰を知らず、人心頗る恐る。公に陜西安撫使を授く。趣かに道に上る。公勇にして自ら效さんと欲し、馳せて延安に至れば、則ち羗已に圍を解きて去る。然れども士氣沮傷し、將吏往往にして病と移して罷職を求む。公即ち材武を選練し、戰守の器を治め、居人を慰安し、豪傑を收召して之と計議す。范雍、延州を守る。朝廷以爲えらく能わずとし、趙振を以て代えんと欲す。公奏して曰く、願わくは雍を留めて以て後效を觀ん。已む無くんば則ち范仲淹を可と爲す。以て國家の爲に計るなり、仲淹に私するに非ず。若し朋比に涉りて陛下の事を誤らば、當に族せらるべしと。慶人の陳叔慶等、邉防の策を陳べて官に補せられ、東南に置かる。公奏して曰く、忠義憤懣して國の爲に計を獻ず。稍く收用すと雖も、乃ち僻左に置くは、實に之を覊縻するなり。誠意を開示して人才を招徠する所以に非ずと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公塞下を往來し、勤苦して寢食を忘れ、以て上に報ゆる有らんことを期す。出でて屯を按じ、涇原に至る。元昊の和を乞うを聞く。公諸將に諭して曰く、約無くして降る者は謀なり。宜しく益ミ備うべしと。遽かに兵を調う。兵未だ集まらざるに、賊果たして山外に入りて鈔す。公圖を指して諸將に授けて曰く、山間狹隘なるは守る可し。此を過ぐれば必ず伏有らん。或いは師を致して以て我を怒らしめ、或いは餌を爲して以て我を誘わん。皆輙く出づるを得る無かれ。其の歸りて且に惰らんとするを待ちて、之を邀擊せよと。而るに禆將の任福・王仲寳、小勝に狃れて數ミ節度に違う。公之に檄して曰く、節度に違わば功有るも亦た斬らんと。福猶お兵を進め、伏に遇いて遂に戰死す。公を疾む者、公を大罪に置かんことを乞う。後、大帥、餘兵を收めしむるに、檄を福の衣帶の間に得たり。封じて之を上る。朝廷、罪の諸將に在るを知り、止だ右司諫に左遷して秦州を知らしむ。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公、范公と同じく召されて樞密使・副に拜せらる。公自ら邉を捍がんことを請うこと五表に至るも聽かれず。既に至り、又た范公と前議を伸べ、同じく策を上前に決し、兵を以て元昊を覆さんことを期す。會ミ夏國、欵を送る。公の謀、果たして用いられず。范公毎に齟齬して功の就らざるを恨む。故に閱古堂詩を作りて其の事を叙し、世に傳わる。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦英宗初め立つ。外六班に變を謀る者有り。或るひと公に言う。公曰く、事成らずんば族せらるるに過ぎざるのみ。吾懼れずと。既にして卒に事無し。英宗政に即くや、公其の勇智の世に出でざるを以て、與に爲す有る可しとし、乃ち中書を考尋して祖宗の御批百餘番を得たり。俱に闕略して全からず。補綴して僅かに能く其の字を識る。皆經國の長筭大策なり。太原を取り、江南を伐ち、犬戎を伐つを中書に付す之類の如し。編みて十餘軸と成す。英宗一たび之を見て、覺えず御座を避く。是の時同列皆謂う、公に言わずして萬乘を教うる事有りと。後、上僊するや、公之を哭して慟して曰く、何事か爲す可からざらんやと。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦入内都知任守忠なる者、姦邪反覆して兩宮を間諜す。時に司馬溫公諫院に在り、呂諫議侍御爲り。凡そ十餘章、之を誅せんことを請う。英宗悟ると雖も未だ施行せず。宰相韓琦一日、空頭勅一道を出す。參政歐公已に簽書せり。參政趙槩之を難ず。歐公に問いて曰く、何如と。曰く、第だ之に書せよ。韓公必ず自ら說有らんと。公政事堂に坐し、頭子を以て任守忠を勾し、廷下に立たしめて之を數えて曰く、汝の罪死に當たると。蘄州團練副使に責め、蘄州安置とす。空頭勅を取りて之に填し、使臣を差して即日押行せしむ。其の意以爲えらく、少しく緩めば則ち中ごろ變ぜんと。